大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 平成2年(行ウ)22号 判決

原告

社団法人京都保健会

右代表者理事

大野研而

右訴訟代理人弁護士

渡辺馨

川中宏

佐藤健宗

甲事件被告

京都市長

田邊朋之

乙事件被告

社会保険診療報酬支払基金

右代表者理事長

北郷勲夫

右訴訟代理人弁護士

宇田川昌敏

右被告ら指定代理人

阿多麻子

主文

一  甲事件につき、被告京都市長が、原告に対し、平成元年九月一八日付でした、原告が訴外甲野一郎に対して行った診療に関する診療報酬額決定処分のうち、別紙1表減点点数欄記載の診療報酬三二万九四〇〇円の原告に対する支払いを拒否した処分を取り消す。

二  原告のその余の甲事件の請求及び乙事件の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、甲、乙事件を通じてこれを五分し、その四を原告の負担とし、その余を被告京都市長の負担とする。

事実

第一  請求

一  甲事件

被告京都市長(以下「被告市長」という。)が、原告に対し平成元年九月一八日付でした、原告が訴外甲野一郎(以下「甲野」という。)に対して行った診療に関する診療報酬額の決定処分(以下「本件決定」という。)のうち、別紙2表減点点数欄記載の診療報酬の内一〇七万三七一〇円(「本件訴訟で請求している分」欄記載)の原告に対する支払いを拒否した処分を取り消す。

二  乙事件

被告社会保険診療報酬支払基金(以下「被告基金」という。)は、原告に対し、一〇七万三七一〇円及びこれに対する平成二年三月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  請求の類型(訴訟物)

1  甲事件

原告が、被告市長に対し、本件決定のうち、原告に前記診療報酬一〇七万三七一〇円の支払いを拒否した部分は、審査懈怠のため判断を誤った違法があるとして、提起した抗告訴訟である。

2  乙事件

原告が、被告基金に対し、後期指定医療機関である原告において、保険医療機関及び保険医療養担当規則(昭和三二年厚生省令第一五号、以下「療養担当規則」という。)に適合する診療を行った場合、被告市長から事務を委託された被告基金は、当然原告に正当な診療報酬を支払う義務があるとして、診療報酬の未払分の支払いを求めた訴訟である。

二  前提事実(争いがない事実及び容易に証拠から認められる事実。後者については、その末尾に証拠を摘示する。)

1  当事者

(一) 原告

原告は、昭和六二年三月、京都市中京区西ノ京春日町一六の一で、内科、外科、産婦人科、小児科、泌尿器科、整形外科、精神・神経科、皮膚科等からなる京都民医連中央病院(以下「原告病院」という。)を開設している。

そして、原告病院は、生活保護法(以下「本法」という。)四九条により指定を受けた医療機関(以下「指定医療機関」という。)であるが、京都府知事から健康保険法所定の保険医療機関の指定も受けている(なお、右指定により、国民健康保険の被保険者に対する療養の給付を取り扱う旨の申出が受理されたこととなる(国民健康保険法三七条三項)。)。

(二) 被告市長

被告市長は、生活保護法の実施機関として、指定医療機関が生活保護受給者に対して実施した診療に基づく診療報酬額を決定する権限を有する者である(本法五三条一項、八四条の二第一項)。

(三) 被告基金

被告基金は、政府もしくは健康保険組合、市町村もしくは国民健康保険組合又は法律の規定により組織された共済組合が法律の規定に基づいてする療養の給付(以下「保険診療」という。)を担当する者(以下「診療担当者」という。)に対して支払うべき費用(以下「診療報酬」という。)の適正迅速な支払いをなし、併せて、診療担当者から提出された診療報酬請求書(レセプト)の審査を行うことを目的として社会保険診療報酬支払基金法(以下「基金法」という。)によって設立された特殊法人であり、各保険者から所定の支払委託金の預託を受けること、右請求書による請求に対して診療報酬を支払うこと及び右請求書を審査することを主たる業務とし、その外、生活保護法に基づく指定医療機関に対する診療報酬の審査及び支払いに関する事務を行っている(基金法一条、一三条)。

被告基金は、右請求書の審査を行うため、各都道府県に置かれた従たる事務所ごとに審査委員会を設け(基金法一四条一項)、高額の診療報酬請求書等の審査を行うため(本件係争年当時は、診療報酬請求点数が五〇万点以上の審査をする場合がこれに該当する(改正昭和六一年六月一〇日厚生省告示第一二四号)、主たる事務所に特別審査委員会を設けている(同法一四条の六第一項)。なお、本件は、後記のとおり特別審査委員会の審査を必要とする事案である。

2  生活保護法に基づく医療扶助制度

(一) 本法に基づく医療扶助は、現物給付によって行う(本法三四条一項本文)。厚生大臣又は都道府県知事は、右医療扶助のための医療を担当させる機関を指定する(本法三四条二項、四九条)。そして、都道府県知事は、指定医療機関の診療内容及び診療報酬の請求を随時審査し、かつ、指定医療機関が本法五二条の規定によって請求することのできる診療報酬の額を決定することができる(本法五三条一項)。これは、指定医療機関が請求することのできる診療報酬の額を具体的に確定するものである。そして、指定医療機関は、右決定に従わなければならない(本法五三条二項)。

なお、本件では、京都市が指定都市であることから、右知事の権限は、被告市長に与えられている(本法八四条の二第一項)(以下、法令等に「都道府県知事」の記載があるところも、本件は、「被告市長」とする。)。

(二) 被告市長が指定医療機関の請求することのできる診療報酬の額を決定するにあたっては、基金法に定める審査委員会又は医療に関する審査機関で政令に定めるものの意見を聴かなければならない(本法五三条三項、本法施行令三条)。

また、被告市長は、右診療報酬の支払いに関する事務を、社会保険診療報酬支払基金又は厚生省令で定める者に委託することができる(本法五三条四項、国民健康保険法四五条二項)。

(三) 指定医療機関の診療方針及び診療報酬は、国民健康保険の診療方針及び診療報酬の例による(本法五二条一項)。

そして、診療報酬は、国民健康保険法四五条二項により、健康保険法四三条の九第二項の規定によることとされ、結局、健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法(昭和三三年厚生省告示一七七号)以下「算定方法告示」という。)で、点数方式によって算定される。

右算定方法告示は、その別表(診療点数表)により療養に要する費用の額を算定するものとし、一点の単価を一〇円(昭和四〇年厚生省告示一〇号による改定後)とし、療養に要する費用の額は、右単価に、右別表に定める点数を乗じて算定する。

被告基金の前記審査委員会の審査委員は、逐次、昭和三三年一二月六日基連発第二五号「診療報酬の請求に関する審査について」に準拠して、診療報酬請求が、算定方法告示及び、療養担当規則に適合するか否かを審査し、審査結果を指定医療機関に通知する。

増減点通知は、増減点通知書と題する書面で行われる(昭和五八年三月二九日基調発第四一号「増減点連絡書について」)。右通牒によれば、減点通知には、査定の対象となった診療報酬明細書ごとに、法別、患者名、増減点数、増減点箇所及び増減点事由を連絡することになっており、増減点事由については、診療内容に関するものにつき、それぞれ後記内容を意味する「A」「B」「C」「D」の各記号、事務上に関するものにつき、それぞれ後記内容を意味する「F」「G」「H」「K」の記号によってそれぞれ示される。

「A」 適応と認められないもの

「B」 過剰と認められるもの

「C」 重複と認められるもの

「D」 前各号の外不適当(疑義解釈通知等に照らして不適当なものを含む。)又は不必要と認められるもの

「F」 固定点数が誤っているもの

「G」 請求点数の集計が誤っているもの

「H」 縦計計算が誤っているもの

「K」 その他

(四) 被告市長は、本法五三条四項に基づき、京都府社会保険診療報酬支払基金(以下「京都府支払基金」という。)との間で、昭和四四年四月一日付で、本法に基づく診療報酬に関する審査及び支払の事務を委託する旨の契約(以下「本件委託契約」という。)を締結して現在に至っている(甲事件乙一の1、2、以下、書証は甲事件の番号による。)。

(五) 被告市長が、被告基金に診療報酬請求の審査を委託した場合、被告市長は、被告基金の審査を尊重し、計算の誤りなど事務的事項に関しては、自ら審査して訂正などするが、診療内容についての審査は原則として行なわない(昭和二八年三月三一日社乙発第四九号厚生省社会局長から各都道府県知事宛通知「生活保護法の一部を改正する法律等の施行について」(甲一)の該当部分((二)3)は、昭和三六年九月三〇日社発第七二七号各都道府県知事、指定都市市長宛厚生省社会局長通達「生活保護法による医療扶助運営要領について」(乙一三、以下「運営要領」という。)第5の2により改められた。)。

3  被告市長が被告基金に診療報酬の支払事務を委託した場合の被告市長と被告基金の関係

(一) 被告基金は、指定医療機関から提出された診療報酬請求書類について、その内容を審査し、意見(診療報酬請求内訳書を作成)を付して、指定医療機関が患者を診療した月(以下「診療月」という。)の翌々月五日までに、被告市長に右各書類を提出する。

(二) 被告市長は、被告基金から診療報酬請求書類等の提出を受けたときは、被告基金の審査を検討して診療報酬の額を決定したうえ、診療月の翌々月の一二日までに診療報酬請求書を被告基金に送付する。仮に被告基金の審査に疑義がある場合には、被告基金に対して、その再審査を求めることができる。

(三) 被告基金は、前期(一)の審査が終了した時は、被告市長の右(二)の決定がされたか否かにかかわらず、直ちに当該医療機関に対し診療報酬の支払いを開始し、その翌月(診療月の翌々々月)一二日までに完了する(以下「仮払い」という。)(なお、後記のとおり、この支払いが、暫定的な文字通りの仮払いであるのか、仮払いではなく確定的な支払いであるのかについては争いがある。)。

(四) 被告市長が前期(二)の決定を行った結果、基金が医療機関に対して支払った診療報酬に過誤を生じた場合、被告基金は、支払・請求過誤整理票(乙七)により、被告市長の行った決定の内容を指定医療機関に連絡し、右の過誤金額は、原則として、診療月の翌月分の診療報酬の仮払いの際(診療月の翌々々月)に調整、清算される。

但し、指定医療機関が、再審査の申出を行った場合には、実務上、被告基金は、再審査の結果を待つために、過誤調整の次期を右の次期よりも遅らせることがある。

(甲一、乙一の1、2、二及び三の各2、四の1ないし3、一三、弁論の全趣旨)

4  特別審査委員会の制度

(一) 特別審査委員会の設置の時期及び設置目的

特別審査委員会は、昭和五九年八月の基金法の一部改正により被告基金本部に設置された(基金法一四条の六第一項)。特別審査委員会の設置目的は、近年の医療の高度化、専門化及び請求内容の複雑多様化に対応して、大学病院等から提出される高額な診療報酬請求書類について、全国統一的に審査を行うことにある(乙一八)。

(二) 特別審査委員会の構成

特別審査委員会の審査委員は、診療担当者代表、保険者代表及び学識経験者(いずれも医師又は歯科医師)の三者から構成され、各同数が委嘱されるところ、診療担当者及び保険者代表は所属団体の推薦、学識経験者については厚生大臣の推薦に基づいて理事長が委嘱する(基金法一四条の六第二項)。

同委員の数は、平成元年八月当時、前述の三者につき各七名、合計二一名であり、同委員会を代表する者は審査委員長であって、平成元年八月当時の審査委員長は坂上正道(当時、北里大学看護学部学部長)(以下「坂上」という。)である。

(三) 特別審査委員会の運営

(1) 特別審査委員会は、原則として毎月一六日から二〇日にかけて開催している。その審査は、原審査と再審査に分れ、そのそれぞれについて、担当審査委員による第一次審査と全審査委員の合議による第二次審査が行われる(社会保険診療報酬請求書特別審査委員会運営細則(以下「運営細則」という。)三条一項、二項、三項)。その運営方法は以下のとおりである。

(2) 原審査の第一次審査

原審査の第一次審査は、診療報酬請求書類を、専門分野別及び臓器分野別(脳外科、消化器、心臓、血液、腎臓、抗生物質、その他)に分類し、それぞれに担当委員を定め、担当した委員が行う。診療報酬請求書類の内容の一部が他の専門分野にわたる場合又は他の審査委員の判断や意見を聴取する必要がある場合は、それぞれ複数の審査委員が担当して審査する(運営細則三条二項)。

本件では、阿岸鉄三(以下、「阿岸」という。)が一人で第一次審査を行った(証人阿岸)。

(3) 原審査の第二次審査

第一次審査が終了した診療報酬請求書類については、特別審査委員会で第二次審査を行い最終決定する(社会保険診療報酬請求書審査委員会及び社会保険診療報酬特別審査委員会規程(以下「委員会規程」という。)二条一項)。

第二次審査は、毎月二〇日頃に開催され、特に全審査委員の判断や意見を聴取すべき事案については、個別に第一次審査を担当した審査委員が説明し合議決定をする。全審査委員の判断や意見を聴取する必要のない案件については、まとめて提案され、他の案件とともに一括して合議決定が行われる(運営細則三条三項)。

(4) 再審査の第一次審査

指定医療機関が原審査に不服がある場合は、再審査の申出をして再審査を求めることができる(基金法一三条一項、委員会規程二条一項、三項)。

指定医療機関が再審査の申出を行う場合の書式や記載内容については法令で特に定められていない。

特別審査委員会に再審査申出があった場合の審査は、再審査申出書及び診療報酬明細書(以下「明細書」という。)を、前期(2)のとおり専門分野別及び臓器分野別に分類し、それぞれに担当委員を定め、担当した委員が審査を行う。なお、通常の場合は、原審査の第一次審査を担当した委員が、再審査の第一次審査を担当する。

原審査の場合と同じく、再審査申出の内容が他の専門分野にわたる場合又は他の委員の判断や意見を聴取する必要がある場合は、それぞれ複数の委員が担当して審査を行う。本件は、第一次審査と同じく、阿岸が一人で担当した(証人阿岸)。

(5) 再審査の第二次審査

原審査の場合と同じく、第一次審査が終了した診療報酬明細書については、特別審査委員会で第二次審査(合議)を行い最終決定する。

第二次審査は、毎月二〇日頃に開催される。第二次審査では、再審査の申出のあった案件の全てについて一件ごとに要点を記載した一覧表が全審査委員に配布され、一件ごとに第一次審査を担当した審査委員が原審査の結果、再審査申出理由及び第一次審査の結果などを述べ、さらに、提案や説明をした後、合議決定が行われる。実際は、第一次審査を行った審査委員が、原審のとおりで問題ないと判断すれば、その旨の報告が行われて直ちに審査は終了し、特に右委員が問題を提起した場合に合議が行われる。

(乙四五、証人坂上、同阿岸、弁論の全趣旨)

5  指定医療機関の診療方針

指定医療機関は、生活保護法指定医療機関医療担当規程(昭和二五年厚生省告示第二二二号)に基づいて懇切丁寧に被保護者の医療を担当しなければならず、右医療について都道府県知事の指導に従わなければならない(本法五〇条一項、二項)。そして、前記のとおり、その診療方針及び診療報酬については国民健康保険のそれによることとされており(本法五二条一項)、療養担当規則の定める方針に従わなければならない。

すなわち、指定医療機関は、診療の必要があると認められる疾病又は負傷に対して的確な判断をもととして、患者の健康の保持促進上、妥当適切に行わなければならず(療養担当規則一二条)、投薬は必要があると認められる場合に行い(同二〇条二号イ)、処置は必要の程度に応じて行うものとされる(同二〇条五号ロ)。

6  保険診療の実施(主な診療について)

(一) 甲野は、生活保護法に基づく医療扶助を受給するものであったが、昭和六三年六月三日、急性リンパ性白血病で原告病院に入院し、同年一〇月二四日、寛解して退院し、以後同病院に通院治療を続けていた。当時の主治医は、宮岡和子医師(以下「宮岡」という。)である。

(二) 平成元年五月二四日、甲野は、急性リンパ性白血病を再発したため、原告病院に再入院して治療を受けた。宮岡は、甲野に対して寛解導入療法を施行した。

(三) 同年七月八日、甲野の容体は急変し、三九度の発熱を記録した。

そして、甲野のクレアチニン値、尿素窒素値は上昇し、急性腎不全となった。

直ちに、宮岡は、甲野を敗血症性ショックと診断し、抗生物質を使用して敗血症に対する治療を開始し、また、血圧の急激な低下を改善するために、イノバンなどの昇圧剤を用いて昇圧治療を行った。

(四) 同月一〇日、宮岡は、甲野の麻痺性イレウス(腸閉塞)に対して、胃チューブを挿入して治療にあたった。

(五) 同月一一日、甲野の検査値は、血清クレアチニン値4.7mg/dl(正常値0.6ないし二〇)、尿素窒素81.0mg/dl(正常値一〇ないし二〇)となり、尿量は低下した。そこで、原告は、人口腎臓の施行を開始し、その後同月三一日迄に合計一三回施行した。

(六) 同月一三日、原告は、甲野が前期麻痺性イレウスに加え、消化管出血を来したため、止血剤及び潰瘍治療剤トロンビン、マーロックスを胃チューブから注入し、潰瘍治療剤シメチジンの静脈注射を施行した。

(七) 同月一四日、甲野の検査結果は、プロトロンビン時間39.3秒(正常値一二秒位)、活性化部分トロンボプラスチン時間104.8秒(正常値三三秒位)を示した。そこで、原告は、肝不全の治療として血漿交換療法を行った(原告は、その後も同月一五日、同月一七日と合計三回施行した。)。

(八) 同頃より、甲野は、顔面及び躯幹にヘルペス疹が認められたため抗ウイルス剤であるゾビラックス(点滴、軟膏)を使用した。

また、フィブリン・フィブリノーゲン分解産物(FDP)上昇や血小板値減少から、播種性血管内凝固症候群の状態と考えられたため、ノイアート、ヘパリンを使用した。

(九) 同年一〇月二〇日、甲野は原告病院を退院した。

7  本件審査の経緯

(一) 平成元年八月七日、原告は、甲野の分を含む同年七月分の診療報酬請求書、診療報酬明細書及び同添付の症状経過(以下「診療報酬請求書類」という。)(甲六、乙二、三の2)を京都府支払基金に提出した。

このうち、原告が請求した甲野に係る同年七月分の報酬は、別紙2表請求点数欄記載のとおり合計六四万一四〇八点、金額で六四一万四〇八〇円である。

(二) 被告基金は、原告から提出された診療報酬請求書類の記載内容を審査したうえで(なお、本件は、原告の提出した診療報酬明細書の合計点数が五〇万点以上であったため、京都府支払基金の本部である被告基金に設置されている特別審査委員会の審査を受けたものである。)、原告に対して、同年八月一八日付で減点査定を通知した(甲三の1、2、乙六の1、2)。

すなわち、原告の請求点数のうち、別紙2減点点数欄のとおり一一万四〇六〇点を減点し(右減点査定を、以下「本件減点査定」という。)、一一四万〇六〇〇円の支払いを拒否する旨を通知した。

(三) 原告は、本件減点査定を不服として同年八月二五日付で、京都府支払基金に再審査を申し出た(乙二四)。同年九月五日、同支払基金は、被告市長から当該診療報酬明細書(同書添付の症状経過を含む)(以下「本件明細書」という。)を取り寄せた上、特別審査委員会に再審査を依頼した(乙二六ないし二八)。

(四) 同年八月三一日、被告基金は、原告に対して、甲野の分を含む同年七月分の診療報酬(本件減点査定に基づく金額分)として原告の銀行預金口座に振込入金して仮払い(以下「本件仮払い」という。)支払った(甲五、乙四の1ないし3)。

(五) 同年九月一日、京都府支払基金は、被告市長に対し、審査結果と本件明細書を提出した(乙三の1、2)。

(六) 同年九月一八日、被告市長は、京都府支払基金の審査意見を検討し、原告の本件請求にかかる診療報酬についてその額の本件決定をしたうえ、その旨を京都府支払基金に対して通知した(乙五)。

(七) 同年九月二九日、同年八月分の診療報酬の仮払いが行われたが、その際、同年七月分の過誤調整はなされなかった(乙九の1ないし4)。

(八) 同年一〇月三〇日、被告基金は、原告に対して、特別審査委員会の当初の審査結果を維持する旨の再審査結果を通知し(甲四、乙一〇)、同年一一月三〇日、同年七月分の診療報酬については過誤調整がないということで、同年一〇月分の仮払いが行われた(乙一一の1、2、一二)。

8  本件明細書の記載内容(乙三の2)

本件診療報酬明細書の傷病名欄には、「肝不全(劇症肝炎)」「腎不全」との記載があり、症状経過には、「七月八日急に三九度C熱発、ほとんど同時にショック状態となった。エンドトキシン・ショックと考え、強力に抗生剤使用。血圧はなんとか持ち直したが、肝不全、腎不全併発。七月一一日BUN(尿素窒素)81.0CrN(クレアチニン)4.7、尿量減少、心不全となり、七月一一日から血液透析(人工腎臓と同義語、以下人工腎臓で統一する。)開始。(中略)今后は腎機若干改善傾向にあるため透析間隔の延長から、離脱への希望がもてる。(中略)また、七月一四日にはPT(プロトロンビン時間)39.3秒(contol一一秒)、APTT104.8秒となり肝不全状態に対し血漿交換療法を開始した。三回施行その后肝機能はPE(血漿交換療法)なしで維持できている。また、同じ頃より意識障害著明。(中略)現在、血液透析施行しつつ、リハビリを施行中である。」とある。

9  通達

本件診療当時、厚生省保険局の通達(昭和六三年三月一九日保発第二一号)によれば、血漿交換療法は重篤な肝不全のうちでも劇症肝炎にのみ適応されることになっており、その他の肝不全については、どのように重篤であっても適応がない。

三  争点

1  本件決定の行政処分性(本法五三条一項該当性)(甲、乙事件につき)

2  本件決定の違法性(甲事件につき)

(一) 審査資料を診療報酬請求書類に限定した違法

(二) 診療報酬請求に対する判断の違法

3  客観的な甲野の病状及びこれに対する原告の診療内容(乙事件につき)

四  争点に関する当事者の主張

1  原告

(一) 本件決定の行政処分性

(1) 本件において京都市(代表者被告市長)は、本法五三条四項により被告基金に対し診療報酬の審査及び支払いを委託している(基金法一三条二項)。この場合、国民健康保険法四五条五項によって保険者である京都市(前同)が被告基金に委託した場合と同じ法律関係が形成され、被告基金は、指定医療機関に対し、その請求にかかる診療報酬につき、自ら審査したところに従い、自己の名において支払をすることになる。そうすると、被告市長が本法五三条一項の決定を行う必要もないしその余地もなくなり、本件決定は行政機関相互間の内部的意思決定行為に過ぎず行政処分でない。すなわち、本法五三条一項で被告市長に報酬金額の決定権限を与えたのは、複雑な計算に基づく診療報酬の支払を迅速適正に行うという専ら実務上の要請に基づくものであり、昭和二八年の法改正により本法五三条四項が新設されて被告基金に診療報酬の審査と支払を委託できることになった以上、もはや被告市長が診療報酬金額を決定する必要はない。

(2) 仮に、右の場合において、被告市長が本法五三条一項の決定をする必要があるとしても、本件決定は、右の決定には当たらない。

すなわち、具体的に権利を確定する本法五三条一項の決定が行政処分であることは当事者間に争いがないが、その行政処分とは、処分内容が外部的に表示され、被処分者に通知されるか、少なくとも了知される状態に置かれるものでなければならない。そうすると、本件決定が本法五三条一項の決定であるとするならば、本件決定についても、外部的表示行為等がなければならない。しかし、本件では、被告市長から被告基金に対する通知があるだけで、被告市長から原告に対し、通知等により診療報酬支払額を決定したことを示す外部的行為はない。また、被処分者である原告が処分を了知する機会さえも与えられておらず、本件決定は行政処分の体裁を有さない。

結局、本件決定は、被告市長から被告基金に対する行政機関相互間の内部的通知に過ぎず、本法五三条一項に基づく行政処分に当たらない。

したがって、本件では、原告の報酬請求権を確定するための行政処分は存在せず、原告は、療養担当規則に適合した診療を行えば、当然に正当な診療報酬を被告基金に請求できるというべきである。

(3) 被告らは、被告基金から原告に対する「当座口振込通知書、増・減点連絡書、支払過誤通知票」による連絡が、被告市長から原告に対する本件決定の通知にあたると主張する。

しかし、被告基金が診療報酬の支払額を決定する行政庁ではないとすれば、被告基金が被告市長に代わって原告に対し通知する権能はないはずであるし、右通知書等には処分者として被告市長の記載がないから、被告基金からの通知によって被告市長が本件決定をしたことを原告が了知することはあり得ない。

したがって、右の本件決定の通知は、被告市長が行った処分を、被告市長から原告に了知せしめるものではなく、結局、行政処分は存在しない。

(4) さらに、被告らは、本件で被告基金から原告に対し本件決定以前に診療報酬が支払われていることについて、診療報酬額を決定するはずの本件決定以前に診療報酬が支払われていても、その支払いは仮払いに過ぎないから、なんら不合理はないと主張する。

しかし、診療報酬額を決定する以前に診療報酬が支払われるということは不自然、不合理である。現実に診療報酬の支払いがなされる以前に診療報酬の決定が行われているはずであり、被告市長からの委託により被告基金が原告に診療報酬を支払っている以上、本件診療報酬の決定は被告基金がその支払の前に行っていたと認められ、被告らの主張は失当である。

(二) 本件決定の違法性

被告市長は、被告基金がした本件減点査定をそのまま採用して、これと同一内容の本件決定をしたものであるが、本件減点査定は次のとおり違法であるから、本件決定も同様に違法である。

(1) 審査資料を診療報酬請求書類に限定した違法

イ 被告基金は、原告の診療報酬請求に対し、診療報酬請求書類について審査(書面審査)を行っただけで、原告に説明を求めたり、診療録等の審査もせずに審査を終了している。

けれども、原告が療養担当規則に適合する療養の給付を行えば、本来、被告市長は当然に診療報酬を支払う債務を負い、原告は報酬請求権を取得する。そうすると、被告基金が、原告は療養担当規則に適合する療養の給付を行っていないと減点の認定を行うためには、存在する全資料(実際には、訴訟上の制約から口頭弁論終結時までに顕出された資料)をもとに審査すべきである。にもかかわらず、被告基金は、本件明細書のみを審査して減点査定をしたのであり、右減点査定は違法である。

ロ 仮に、診療報酬請求書類による書面審査が原則であるとしても、審査委員会及び特別審査委員会は「審査のため必要があるときは」診療担当者に対して出頭や説明を求めたり、診療録(カルテ)その他の資料の提出を求めることができる(基金法第一四条の三、第一項、第一四条の六、第二項)。本件のように「救命」事案の場合や原告提出の本件明細書添付の症状経過の記載だけでは行われた診療内容等の判断が困難である場合は、右規定に基づき原告の出頭を求める等すべきであった。

(2) 診療報酬請求に対する判断の違法

被告基金は、診療報酬請求書類を審査すれば足りるとしても、右書類を適切に審査すれば原告の診療が療養担当規則に適合する療養の給付であったと認定できるのにかかわらず、次のとおり、判断を誤って減点査定をしたのであり、右減点査定は違法である。

イ 血漿交換療法の施行回数について

被告基金は、血漿交換療法の施行回数を三回から一回に減点査定をした。すなわち、劇症肝炎の診断は、「肝炎のうち症状発現後八週以内に高度の肝機能障害に基づいて肝性昏睡Ⅱ度以上の脳症をきたし、プロトロンビン時間四〇%以下を示すもの」という基準で行われる(この点、当事者間に争いがない。)。そして、診療報酬請求書の傷病名に「劇症肝炎」と記載されていること、症状経過には、プロトロンビン時間39.3秒、意識障害著明、脳波検査(EEG)で低振幅の徐波がみられたとの記載があること、さらに、甲野は、白血病を患ったために抗ガン治療が行われて抵抗力が落ち、敗血症性ショックを起こし、多臓器不全となった旨を表す記載がある。右各事実によると、甲野は、高度の肝機能障害に陥り、症状発現後五日目に、肝性昏睡Ⅳ度の脳症をきたしたこと、計算によるとプロトロンビン時間は九%になることが認められ、右診断基準に照すと、甲野の傷病は劇症肝炎であると認定できる。そして、劇症肝炎になれば、特に症状の改善がみられない限り、血漿交換療法を三回施行することは通常の診療行為であって、被告基金の右減点査定は判断の過誤によるものである。

この点、被告らは、劇症肝炎は、肝炎のうちウイルス性及び薬物性肝炎に限るとか肝原発性に限るから本件のような多臓器不全による肝不全は劇症肝炎に当たらないと主張するが、被告ら主張のように劇症肝炎を限定する理由はない。

仮に、甲野が劇症肝炎でないとしても、血漿交換療法を三回施行することが適当な肝不全であったことは、本件症状経過から認められるから、右減点査定は判断の過誤によるものである。

ロ 人工腎臓の施行回数について

被告基金は、人工腎臓の施行回数を一三回から八回に減点査定をした。

しかし、本件症状経過には、平成元年七月一一日の尿素窒素が81.0mg/dlと記載されていること、同日の血清クレアチニン値が4.7mg/dlと記載されているが、この値は同月八日の数値に比べて急激な上昇であること(同日の数値は記載がないが、特に記載がない以上、同日の数値は正常値と認められる)、「尿量減少、心不全」との記載があること、甲野は白血病から多臓器不全に陥った旨の記載があることを総合すれば、同日、甲野は乏尿状態にあり、肺水腫により心不全の危険もあるため、人工腎臓の適応の状態にあったと認められる。その後、甲野の症状は、平成元年七月一四日、前期イのように劇症肝炎と診断される一層重篤な症状となり、その状態は同月二五日まで続き、その後も人工腎臓から離脱できない状態であった。

そうすると、一般の急性腎不全でも、無尿期における人工腎臓は短時間の頻回施行が原則であって、無尿状態が続き劇症肝炎を併発する多臓器不全の場合には、なお一層頻回の人工腎臓の施行が必要とされることに照らして、甲野の人工腎臓の施行回数は一三回が適当で八回に減点査定することは誤りである。

ハ マーロックスの投与について

被告基金は、マーロックスの一日の投与量五〇mlを超える部分を減点する査定をした。

しかし、薬の投与量は、当時の患者の状態に応じて変わるものである。甲野の場合、原告は、消化管出血が持続していたこと、尿素窒素が異常に高値であることを考慮して、早めの止血をするためにマーロックスを一日に四回、一回に五〇mlを投与したものであり、原告は、甲野の病状等に応じた適正な投薬をしたに過ぎない。

したがって、被告基金の右減点査定は誤りである。

ニ トロンビンの投与について

被告基金は、トロンビンの投与量六瓶を超える部分を減点する査定をした。

しかし、前記ハの場合と同じく、甲野に、消化管出血が持続し、腎不全がみられたため、原告は、早めの止血を期待して一日の投与を六瓶(一瓶に一万単位を含有する)を超えて行ったものである。トロンビンの投薬も、甲野の病状等に応じて適正な範囲の投薬をしたに過ぎないのであって、被告基金の右減点査定は誤りである。

ホ モニラックの投与について

原告は、モニラックを一日六〇ml投与した。

ところで、モニラックの一日の用量は、19.5ないし三九グラム(三〇ないし六〇ml)であり、原告は、用量の範囲内で甲野に投薬していたのであって、被告基金の右減点査定は誤りである。

ヘ D―ソルビトールの投与について

被告基金は、D―ソルビトールの投与を全て適用外と査定した。

D―ソルビトールは、カリウム値を下げるために処方されるケイキサレートが原因で起きる便秘を防止する目的で必ず投与されている薬であり、ケイキサレートとともにD―ソルビトールを投薬することは医学常識として定着している。

そうすると、ケイキサレートとともにD―ソルビトールを投薬することを適応外とした右査定は誤りである。

ト フロリードFの投与について

被告基金は、フロリードFの注射での投与を全て適用外と査定した。

しかし、白血病の患者の治療中、敗血症の症状があれば真菌感染の可能性は高く、同感染を防止するために、右患者に抗真菌剤であるフロリードFを注射で投与することは医学常識である。

したがって、白血病の治療から敗血症に陥った甲野の治療に、フロリードFを注射で投与したことを適応外とする右査定は誤りである。

チ 処置料について

被告基金は、原告が人工腎臓に施行の際に第一ブドウ糖を使用したことを全て適応外と査定した。

本件では、人工腎臓を施行する必要があり実際にも行っている。ところが、本件診療当時、透析液にはブドウ糖が添加されておらず、そのまま透析液を使用した場合、人工腎臓施行中に低血糖状態を招来する危険があった。とりわけ、重症患者の人工腎臓施行では、その管理が重要であり、本件において、第一ブドウ糖を透析液に添加して使用することは適正な方策である。

したがって、第一ブドウ糖を人工腎臓に使用することを適応外とした査定は誤りである。

(3) 実質的審査を懈怠した違法

被告基金は、療養担当規則に照らして本件治療内容を審査することなく、機械的に減点審査をし、再審査請求を棄却した。

(三) 客観的な甲野の病状及びこれに対する原告の診療内容

(1) 三回の血漿交換療法の施行について

前期(二)(2)イのとおり、甲野には血漿交換療法の施行が必要であり、施行回数も三回が相当であった。そのうえ、甲野は、一回目、二回目の血漿交換療法では意識の改善が見られず、総ビリルビン値も、施行直後は改善されるものの、直ぐ元の数値に戻ってしまい、症状に改善がみられなかったことから、結局、三回の血漿交換療法を施行したものである。

ところで、血漿交換は、症状の改善が見られないときは連続して三回位まで行うというのが一般であるところ、本件では、右のとおり最初の二回の各血漿交換で症状の改善が見られなかったのであり、その効果が現出する(あるいは、効果がないと判断ができる)まで、三回位施行するのは適当な診療行為であって、過剰診療にはならない。

(2) 一三回の人工腎臓の施行について

原告は甲野に対し、平成元年七月一一日から同月三一日までの間、合計一三回の人工腎臓を施行した。この原告による第一回の人工腎臓の施行及びその後の合計一二回の同施行は、次のとおり、甲野の病状に対する妥当適切な治療である。

イ 原告病院は、同月一一日に、甲野に対し次の事実を検討して人工腎臓を開始している。

同月八日に、患者は発熱と同時にショック状態となったが、これは白血病の抗癌剤治療中に突然の敗血症性ショックを起こしたことを意味し、それ自体重篤な症状であり、その時点で患者の全身症状が悪化することが容易に予想された。

その後の経過で、同月一一日までに血清クレアチニン値は四日間で四mg/dl増加し、同日の人工腎臓施行前の検査では尿素窒素も81.0mg/dlまで増加した。尿量も急激に減少して、同日には一四〇ml/日で乏尿状態となり、同日に行った胸部レントゲン検査にて胸水の貯留と心胸比の増大が見られ、肺水腫の状態の出現が認められた。一方、同月一〇日には患者の生命維持のために必要不可欠な点滴治療として総量で二七〇〇mlの輸液を行っており、このことが乏尿状態とあいまって一層心臓への負担を大きくしていた。患者の全身状態の判断としては、急激に肝機能が低下して急性肝不全と診断でき、多臓器不全であると認められた。

そうすると、①患者甲野は劇症肝炎を併発している多臓器不全であるから、保存的療法に多大な期待をせず、より早期に透析治療を開始する必要があること、②尿素窒素値の81.0mg/dlは、人工腎臓を開始しても十分な数値であること、③血清クレアチニン値が四日間で四mg/dl上昇し、一日あたり一mg/dlという速いスピードで上昇したことを考え併せれば、原告が同月一一日に人工腎臓の施行を開始したことは適切な措置であった。

ロ 原告は同月一一日に透析を開始した後、次の事実を検討して、同月三一日までに一三回の人工腎臓を施行している。

甲野の症状は、同月一四日に劇症肝炎と診断され、一層重篤な症状となった。尿量も無尿状態が同月一五日まで続き、それ以降も同月三一日まで乏尿状態から一日も脱することができなかった。

その一方で、甲野の全身状態の維持のために高カロリー輸液、必要に応じて実施された輸血及び血圧維持のために持続投与された昇圧剤(イノバンなど)により相当の量の水分(約一五〇〇〜二〇〇〇ml/日)が体内に入り、心不全の危険があった。

血清クレアチニン値も下降せず、同年七月末頃になっても六mg/dlを上回る日があった。また、尿素窒素値も同月末頃になっても一〇〇mg/dlを上回る日が多く、血清K値は同月中旬以降かえって上昇し、しばしば6.0mEq/lを上回っていた。

そうすると、①一般の急性腎不全に対しても無尿期における人工腎臓は短時間の頻回透析が原則であること、②甲野は同月末頃まで無尿状態から脱することができないでいたこと、③甲野は劇症肝炎を併発した多臓器不全であること、④血清クレアチニン値、尿素窒素値、血清K値も安定せず、同月後半に入っても、ほとんど毎日、いずれかの検査値が人工腎臓開始の基準を上回っていたこと、⑤高カロリー輸液及び必要に応じて実施された輸血及び血圧維持のため持続投与された昇圧剤(イノバンなど)により、多量の水分(約一五〇〇〜二〇〇〇ml/日)が体内に入るため心不全のおそれが高かった事実が認められ、右事実を総合すれば、同月一一日から同月三一日までに一三回の人工腎臓を施行した原告の診療は適正である。

(3) モニラックの投与について

原告は、モニラックを一日の最高量投与しているが、甲野の場合、急激な肝障害に伴い、アンモニア値が一四四μg/dlに上昇し(同月一二日)、さらには意識レベルの低下等もみられ、重篤な高アンモニア血症であったため、一日六〇mlの投薬を開始したものであり、原告の治療行為は適正である。

(4) なお、被告らは、原告が提出した診療録等(甲七の1、2)は、その外形的記載から改ざん等をした可能性が高く信用できないと主張するが、被告らが主張する点は、いずれも誤記、書き間違いの訂正等であり、診療録等の信憑性がそれで否定される理由はない。

(四) 重篤な肝不全を理由とする血漿交換療法の施行

仮に、甲野の病状が劇症肝炎でないとしても、重篤な肝不全であることは明らかである。そして、この場合に血漿交換療法を三回施行することは、医学的に適応するものであるから、同施行により原告は診療報酬請求権は有する。

ところで、本件診療当時の厚生省保険局の通達によれば劇症肝炎にのみ血漿交換療法を認め、それ以外の肝炎については認めていない。しかし、通達は行政内部に対する運用基準に過ぎず、原告の裁判所における主張を否定する理由にはならない。

2  被告ら

(一) 本件決定の行政処分性

(1) 被告市長が、被告基金に対し診療報酬の支払いに関する事務を委託した場合であっても、本法五三条一項の被告市長の決定は必要であって、本件決定は右の決定に当たるから、指定医療機関である原告が診療報酬金額を争うには、被告市長の本件決定を抗告訴訟で争う必要がある(本法五三条一項の決定が行政処分であることについては、当事者間に争いがない。)。

(2) これに対し、原告は、診療報酬の支払いを被告基金に委託すれば、もはや本法五三条一項の決定は不要となり、報酬金額の確定について行政処分は要しないと主張する。

しかし、委託された場合、被告基金は、被告市長が決定した額について支払いに関する事務を行うに過ぎず、被告市長が決定すべき診療報酬額の決定まで委託を受けているものではない。診療報酬額の決定権限は、常に被告市長に留保されており、指定医療機関は、被告市長の決定した額について診療報酬を請求できるにすぎない(本法五三条一項、二項)。

(3) さらに、原告は、仮に本件の診療報酬が認められるためには、被告市長の決定が必要としても、そもそも行政処分とは、処分内容が外部的に表示され、被処分者に通知されるか、少なくとも了知されるものでなければならないが、本件決定については外部的表示等がなされた事実はなく、本件処分は行政処分として成立していないとする。

しかし、本件決定は、被告市長から被告基金に対し、平成元年九月一八日付の通知書(乙四)でなされている(被告基金は同月二〇日付で受領している)。また、処分の対象者である原告に対しては、法が被告基金による指定医療機関に対する支払いの事務手続を通じて決定を被処分者に了知させる制度を導入しており、同制度により、原告は被告基金が指定医療機関に診療報酬の仮払い、その後の同基金との過誤調整等によって被告市長の決定を知ることができる。

したがって、本件決定は、外部的に表示され行政処分として成立している。

(4) また、原告は、本件決定以前に、原告に本件診療報酬が支払われているが、これは、本件決定以前に診療報酬の支払いが既に決定されていたことの証左であり、本件決定は行政処分ではないとする。

しかし、本件決定以前に診療報酬が支払われるのは、暫定的な支払いであって、本件決定により過誤調整がなされ、正式な支払いが確定する。したがって、本件決定前に被告基金から原告に診療報酬の支払いがあってもなんら不合理ではない。

(二) 本件決定の違法性について

(1) 審査資料を診療報酬請求書類に限定した違法

イ 被告基金における審査委員会及び特別審査委員会の審査は、保険医療機関及び指定医療機関(以下併せて「保険医療機関等」という。)から提出される診療報酬請求書類の記載事項に基づき、原則として書面審査で行う(生活保護法施行規則一七条、療養の給付、老人医療及び公費負担医療に関する費用請求に関する省令(以下「請求省令」という。)一条一項、三項、基金法一三条一項三号、一四条一項、一四条の六)。

そして、本件においても、被告基金は、原告から提出された診療報酬請求書類を審査して判断しており、審査手続に何ら違法はない。被告基金が、右書類の他に自ら資料を収集し審査する必要はないし、しなかったからといって審査が違法になることはない。

ロ また、本件の場合、「審査のため必要があるとき」(基金法一四条の三第一項、一四条の六第二項)に該当する場合ではなく、審査委員会及び特別審査委員会は診療担当者に対して出頭や説明を求めたり、診療録(カルテ)その他の資料の提出を求める必要もない。

なぜならば、右の「審査のため必要があるとき」とは、審査委員会の審査の結果、その診療報酬請求書類の記載事項のみでは、当該診療内容等の認定が困難と認められる等の限定的な場合をいうのであって、本件では、本件明細書によって、甲野の病気の流れを十分理解できた案件であるから、特別審査委員会で診療録を提出させる等の必要はなかった。

したがって、被告基金が、本件明細書のみで原告の診療内容を審査しても違法ではない。

(2) 診療報酬請求に対する判断の違法

被告基金の診療報酬請求書類の審査及び本件減点査定は妥当であり、別紙2表のとおり行った本件決定に誤りはない。

イ 血漿交換療法の施行回数を三回から一回に減点したのは、本件明細書によれば、甲野は多臓器不全に陥り、その結果、肝不全にもなったものである。そうすると、当該甲野の病気の流れは劇症肝炎のそれとは異なる。つまり、甲野の肝不全は医学的には劇症肝炎ではない。

原告は、平成元年七月一四日に、プロトロンビン時間39.3秒となったことに注目しているが、同数値は、本件の場合、急性肝不全、すなわち、肝機能低下の状態を示すにすぎない。また、劇症肝炎の診断基準によれば、患者は症状発現後八週以内に高度の肝機能障害に基づいて肝性昏睡Ⅱ度以上の脳症をきたさなければならないが、本件の症状経過には、意識障害著明、脳波検査(EEG)で低振幅の徐波がみられたとの記載があるだけで、羽ばたき振顫がある等の肝性昏睡Ⅱ度以上の脳症をきたした旨を表す記載はなく、その他、本件が単なる肝不全とは異なり劇症肝炎であることを表すデータの記載がなかった。

結局、被告基金は、本件明細書の傷病名欄には「(劇症肝炎)」との記載があったこと及び本件患者のような病態の場合には血漿交換療法を施行することは、医学的常識から全く掛け離れたものといえないことから、本件では政策的に血漿交換療法一回を認めたものであり、当該判断は正当である。

ロ 被告らは、人工腎臓の施行回数を一三回から八回に減点している。

これは、急性腎不全における人工腎臓の施行開始時及びその回数については、尿素窒素、クレアチニン等の検査データ、尿量減少及びその他患者の全身状態等を総合的に判断して決せられるが、特にクレアチニンの値に重点を置いて行うべきであるところ(尿素窒素の数値は、さほど重要ではない)、クレアチニン値は4.7mg/dlにすぎない。

また、本件症状経過によれば、平成元年七月一一日に「尿量減少、心不全」との記載、甲野は白血病の治療に際し、敗血症性ショックを起こし多臓器不全となった旨の記載があるが、これらの記載は人工腎臓を頻繁に行う必要性を根拠付けるものではない。逆に、本来、頻繁に人工腎臓を施行するのであれば記載されるべき、血中電解質濃度、特に血清カリウム濃度の異常の程度や尿量減少に伴う体内水分貯留の程度に関する記載がない。

したがって、本件の甲野が、二一日間に一三回もの人工腎臓の施行を必要とする程度の病態とは認められず、右減点の判断は正当である。

ハ マーロックスの投与について

制酸・胃粘膜保護剤であるマーロックスは、一日一六ないし四八mlを数回に分服(増減)して患者に投与し、その際、腎障害のある患者、心機能障害のある患者等には慎重に投与しなければならない。

そして、甲野は急性腎不全、心不全と診断されているのであるから、マーロックスの投与は慎重になされるべきであって、甲野への一日の投与量のうち五〇mlを超える部分を減点査定したことは正当である。

なお、症状経過には、「麻酔性イレウスに対し、胃チューブ挿入、消化管出血を認め」と記載があり、原告は、早急な止血のためにマーロックスを通常より多く投与したとする趣旨の主張をするが、症状経過には止血に対する原因の記載がないし、症状経過からは特にマーロックスを通常の投与量より多くする理由は認められない。

ニ トロンビンの投与について

原告は、甲野にトロンビンを一日八瓶(一瓶一万単位)投与している。

トロンビンは、用法としては止血局所に生理食塩液に溶かした溶液(トロンビンとして五〇ないし一〇〇〇単位/ml)を噴霧若しくは灌注又は粉末のままで散布、上部消化管出血の場合は、適当な緩衝剤に溶かした溶液(トロンビンとして二〇〇ないし四〇〇単位/ml)を内服(増減)し、使用上の注意としては重篤な肝障害、DIC(汎発性血管内凝固症候群)等網内系活性の低下が考えられる病態の患者には慎重に投与することとされている。ところが、甲野は肝不全、DICと診断されているものであり、同人には慎重にトロンビンを投与すべきである。

そうすると、被告基金が一日の投与量六瓶を超える部分を減点査定したことは正当である。

なお、本件症状経過には、トロンビンの投与の必要性を推測させる「麻酔性イレウスに対し、胃チューブ挿入、消化管出血を認め」との記載がある。しかし、本件症状経過には止血の原因の確認及び病巣の記載がなく、本件症状経過に特にトロンビンを通常より多く投与する必要があることを表す記載は認められない。

ホ モニラックの投与について

原告は、モニラックの一日の最高投与量である六〇mlを甲野に投与している。

このモニラックの用法は、高アンモニア血症に対して一日当たり19.5ないし三九グラム(三〇ないし六〇ml)を三回に分服して患者に投与するとされているが、甲野に対して一日の最高投与量が必要であるとするならば、その旨の検査値等の記載が本件明細書に必要である。

確かに、本件明細書傷病名欄及び本件症状経過には、肝不全及び肝障害の傷病名が記載されていること及び本件明細書の中にアンモニア検査の回数の記載があることから、甲野が高アンモニア血症であることは推測できる。しかし、本件明細書傷病名欄及び本件症状経過には、高アンモニア血症の病名がなく、高アンモニア血症に関する検査値の記載もないため、甲野の高アンモニア血症が、モニラックを一日の最高量投与しなければならないとする資料はないことになる。

したがって、被告らが、一日投与量のうち通常程度の投与量である五〇mlの限度でその投与を認め、それを超える部分は減点したことは正当と認められる。

ヘ D―ソルビトールの投与について

D―ソルビトールの投与については、適応外であるのですべて減点査定した。

すなわち、糖類剤であるD―ソルビトールの適応は、消化管のX線造影の迅速化、経口的栄養補給、消化管のX線造影時の便秘の防止とされているところ、本件では、消化管のX線造影は行っておらず、また、経口的栄養補給を頓服で行う必要が認められない。

したがって、本件では、D―ソルビトールの投与を認めることはできない。

ト フロリードFについて

抗真菌剤であるフロリードFの適応は、クリプトコックス、カンジタ、アスペルギルス、コクシジオイデスのうちの本剤感性菌によって発症した真菌血症、肺真菌症、消化管真菌症、尿路真菌症、真菌髄膜炎とされているところ、本件明細書の傷病名及び本件症状経過の記載にはいずれの病名もない。

したがって、本件ではフロリードFを注射で甲野に投与することは、適応外の投与であって、認められない。

チ 処置料について

原告は、人工腎臓の施行の際に、第一ブドウ糖を使用している。しかし、第一ブドウ糖の適応及び用法は、経口的栄養補給、ブドウ糖負荷試験の経口投与であって、本件のように人工腎臓に使用することは、適応・用法外の使用であって、認められない。

(3) 実質的審査を懈怠した違法

原告は、特別審査委員会の原審査及び再審査の第二次審査に関し、一件当たりの審査時間が僅かなことから、被告基金は、療養担当規則に照らして本件治療内容を審査しておらず、機械的に減点措置及び再審査請求を棄却しているだけで、実質的な審査は行われていない旨主張する。

しかしながら、問題は、特別審査委員会が、指定医療機関からの診療報酬請求を適切に審査しているか否かである。そして、特別審査委員会は、毎月一六日から二〇日に、原審査及び再審査の第一次審査を行い、毎月二〇日に、それぞれ第二次審査を行っているのであって、原告の主張するように、第二次審査の時間が短いというだけで特別審査委員会が審査を行っていないことにはならない。

(三) 客観的な甲野の病状及びこれに対する原告の診療内容

(1) 診療録等によると、甲野の病状は、急性リンパ性白血病を基礎疾患として、敗血症、エンドトキシン・ショック(敗血症の原因菌の菌体内毒素によるショック)による急性腎不全、肝不全を起こした症例と考えられる。

(2) 劇症肝炎と診断するためには、患者に肝障害による意識障害が必要となるが、本件の場合、甲野には意識障害があったものの、特別治療棟退室サマリーによれば、この意識障害はヘルペス性脳炎及びこれに伴う脳浮腫によるものと判断されており、本件意識障害が肝障害のみによるものとは判断できない。

また、診療録によれば、同月一三日のアンモニア値が一〇μg/dl以下となっているが、これは、劇症肝炎の診断名と合致しない。さらに、劇症肝炎であれば、腎不全による尿素窒素の上昇を考慮しても、尿素窒素は低下するはずであるが、本件では、尿素窒素が高値をとり続けており、劇症肝炎の病状に反する。

そうすると、甲野は劇症肝炎ではなく、血漿交換療法を三回も施行することは認められない。

(3) 本件が発生した平成元年当時において、人工腎臓の開始の目安は、通常、血清クレアチニン八g/dlであり、開始日(平成元年七月一一日)における血清クレアチニン4.7g/dl、血清カリウム4.6mEq/lという数値は正常値内にあり、人工腎臓の開始時期としては通常よりも早い。また、同月一二日における血清カリウム4.9mEq/l、血清クレアチニン4.6g/dl等の検査値から総合的に判断しても、甲野は合計一三回の人工腎臓を必要とする状態ではなかった。

(4) なお、原告は、自己の診療の正当性を裏付けるために診療録等(甲七の1、2)を提出しているが、同診療録等は、その外形的記載上、無視できない不自然な記載が散見され、信憑性に欠ける。

(四) 重篤な肝不全を理由とする血漿交換療法の施行

原告は、甲野の病状が劇症肝炎ではなくても重篤な肝不全である以上、本件で血漿交換療法を三回施行することは医学的に妥当であるから、同施行によって診療報酬請求権は発生していると主張する。

しかし、本件診療当時の厚生省保険局の通達によれば、劇症肝炎にのみ血漿交換療法を認めているのであるから、いくら甲野の病状が重篤な肝炎であったとしても、甲野に対する血漿交換療法は療養担当規則に適合するものとはいえないから、原告の主張どおりに診療報酬を支払う理由はない。

本件で一回分の施行を認めたのは、被告らが原告の立場を尊重し政策的に特に認めたものである。

理由

第一  本件決定の行政処分性

一  被告市長が、本件五三条四項に基づいて、被告基金に対し、指定医療機関に対する診療報酬の支払いに関する事務を委託した場合においても、被告市長が同条一項の診療報酬額の決定をする必要があるか否か

1  まず、右の点について判断する前提として、関係法令等を概観する。

(一) 被告市長は、診療報酬の額を決定できると規定されているところ(本法五三条一項)、同規定の趣旨は次のとおりであると解される。

本法の医療扶助以外の扶助は、保護の実施機関が、要保護者の保護のために必要な給付を直接かつ最終的に決定して、これを要保護者に支給することとなっているが(本法一一条、一九条)、医療扶助の場合における給付内容は、専ら指定医療機関が要保護者の病状についてなした判定に委ねられており、医療費用の支払いをなす保護実施機関側では、その診療に関する報酬の請求内容の適否を直ちに判断できない。しかも、これらの医療のために支払われる費用は、本法の保護に要する費用総額のうちでも、高額で相当の割合を占めており、もし仮に、指定医療機関が濫診濫療を行うことがあれば、国庫はもとより都道府県並びに市町村の財源に多大な影響を与えることになり、ひいては、本法の他の扶助の円滑かつ適正な実施を阻害する結果ともなりかねない。

そこで、本法五三条一項は、右弊害の発生を防止し、適正な医療扶助にかかる費用の支払いを実行するため、被告市長に、診療報酬の請求を随時審査し、指定医療機関に支払う額を決定する権限を与えたのである。

(二) 指定医療機関は、本法五三条一項の被告市長の決定に、従わなければならない(本法五三条二項)。そして、右の決定に対しては、行政不服審査法に基づく不服申立が認められておらず(本法五三条五項)、これを争うためには、抗告訴訟によらざるを得ない。

(三) 保護実施機関(本法一九条一項ないし三項の規定により、保護の決定、実施をする都道府県知事及び市町村長)は保護の決定及び実施に関する事務の全部又は一部を、その管理に属する行政庁(すなわち、福祉事務所長)に限り委任できる(本法一九条四項)。

(四) 基金法によると、被告基金は、本来的には、社会保険の診療報酬の審査支払いを行うことをその目的とし設立された特殊法人であり(同法一条)、被告基金は、国民健康保険等の各種社会保険については、診療担当者が提出した診療報酬請求書を審査したうえ、厚生大臣の定めるところにより算定したる金額を支払うことを主要業務とすると規定されている(基金法一三条一項二号、三号)。右規定等によれば、保険者が被告基金に対し社会保険の診療報酬につき審査及び支払いを委託した場合、被告基金は、診療担当者に対し、その請求にかかる診療報酬につき、自ら審査したところに従い、自己の名において支払いをする義務を負うと解される。

これに対し、本法の診療報酬については、支払基金の主要業務とはされておらず、本法五三条三項に関し、「生活保護指定医療機関に支払うべき額の決定について意見を求められたときは、意見を述べ」、本法五三条四項に関し、「医療機関に対する診療報酬の支払いに関する事務を委託されたときには、その支払いに必要な事務を行うことができる」とそれぞれ規定されているにすぎない(基金法一三条二項)。

(五) 生活保護法施行規則(以下「規則」という。)には、医療扶助の保護実施機関である都道府県、市及び福祉事務所を設置する町村が、当該指定医療機関に対し、審査委員会、特別審査委員会の意見を聴いて決定した額に基づいて、その診療報酬を支払うと規定されている(規則一七条二項)。

(六) 地方自治法一四八条一項において、被告市長は、法律又はこれに基づく政令によりその権限に属する国等の事務を管理し及びこれを執行することとされており、同条二項では、被告市長が管理、執行すべき事務として、「生活保護法の定めるところにより」、指定医療機関の診察内容及び診療報酬の請求を審査し、診療報酬の額を決定」するものとされている(同項別表「第三の一」の四三)。

(七) また、医療扶助の実施に関する、厚生省社会局長から各都道府県知事、指定都市市長あて通達(「生活保護法による医療扶助運営要領について」昭和三六年九月三〇日付け社発第七二七号(以下「運営要領」という。))には、被告市長が診療報酬の決定権限を有し、支払基金等が支払機関及び審査機関であることを前提として技術吏員の職務を定めた規定(第五)がある(乙一三)。

2 このように、関係法令等を概観すると、本法の医療扶助は、全額税収を財源とし国民の最低限度の生活を保障する観点から医療の給付を行うため、被保険者の拠出した保険料を基本財源とし独立して保険事業を行う他の各種社会保険と区別されること、被告基金は、被告市長から診療報酬の額の決定に当たっての意見を求められた際にその意見を具申し、委託を受けて、指定医療機関による診療報酬請求の審査を行い、被告市長が決定した額についての支払いに関する事務を行うに過ぎないこと、本法、規則、地方自治法、通達には、被告市長が診療報酬額を決定することを前提とする規定は存するが、他の機関が右決定をすることを前提とした規定は存しないことが認められ、右認定事実を考え併わせれば、被告基金が被告市長から支払事務等の委託を受けた場合においても、被告基金は、被告市長が行うべき診療報酬の額の決定についてまで委託を受けているものではなく、最終的な診療報酬の審査権限及び金額決定権限は被告市長に留保されていると解される。

3(一)  なお、原告は、昭和二八年の本法改正で、本法五三条四項が新設されたことにより本法五三条一項の解釈は変わり、常に被告市長が診療報酬額の決定をする必要がなくなったと主張するが、しかし、そうであるとすれば同項の新設に伴って一項も改正されるべきであり、その改正がない以上、一項の解釈が変わることはない。

(二)  また、原告は、法文に「決定することができる」(本法五三条一項)とあることから、法は、診療報酬額の決定を被告市長がする場合としない場合があることを認めたものであり、支払事務を被告基金に委託した場合には、被告市長は右決定しないと主張する。

しかし、前記1(一)の趣旨にかんがみると、「できる」との文言は、被告市長に前記権限を与えた趣旨に解すべきであり、原告の主張はその前提において失当である。

(三)  さらに、原告は、本法による医療内容は、原則として他の社会保険制度と同水準の給付を受けられることから(例外として、昭和三四年五月六日厚生省告示第一二五号「生活保護法第五二条第二項の規定による診療方針及び診療報酬」)、本法による診療報酬も、他の社会保険の場合と同じ手続で行われるべきであると主張し、他の社会保険は、被告基金に支払事務が委託された場合、行政処分を介さず当然に報酬請求権が発生する(最高裁判決昭和四八・一二・二〇民集二七巻一一号一五九四頁参照)から、本件でも、原告は直接被告基金に請求できると主張する。

しかし、給付内容が同一であっても、制度ごとに手続を異にすることは考えられる。例えば、生活保護法に基づく医療扶助について、被告基金に対し支払事務を委託しない場合には、被告市長の決定が必要であることは当事者間に争いがないところであるが、この場合の医療給付と社会保険による医療給付とは給付水準は同じでも、手続(被告市長による決定の要否)は異ることになる(この点、原告も争っていない。)。すなわち、本法は、前記のとおり、財源が全額税収であることから、診療報酬の不当請求を阻止するため、法律で支払いの手続を厳格にして、被告市長の決定を必要としたものである。このように手続を厳格にすることと、医療給付水準が同一であることとは矛盾するものではなく、結局、原告の主張は理由がない。

4 そうすると、被告市長が指定医療機関に対する診療報酬の支払いに関する事務を被告基金に委託したか否かにかかわらず、診療報酬額の決定権限は被告市長に留保され、被告市長の同決定がないかぎり、指定医療機関は報酬を請求できないというべきである。

二  本件決定は本法五三条一項の決定に該当するのか否か

1 本法五三条一項の決定は、診療報酬額を確定する行政処分であるから、本件決定が本法五三条一項の決定として成立し効力を生じるためには、本件決定の内容が外部に表示され、被処分者がこれを了知しうべき状態に置かれるものでなければならない。この点について、原告は、本件決定が右効力発生のための要件を具備したものとは認めがたいとし、このことを理由に、本件決定は本法五三条一項に該当せず、本件決定は、未だ行政処分として存在していないと主張するので、以下、原告の右主張について検討する。

ところで、行政処分の存在及び内容を被処分者にどの様に了知せしめるかについては、法律上、行政処分一般に適用される規定はない。したがって、告知の手続が特に法定されている場合は格別、被処分者にどのように了知させるかは行政庁の裁量に委ねられていると解される。

そこで、被告市長は、診療報酬額の決定を指定医療機関にどの様に了知せしめているのかを検討するに、前提事実並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 本件においては、前記前提事実7(七)、(八)のとおり、本件診療月の翌月分である平成元年八月分の原告に対する診療報酬の仮払いの際(同年九月二九日)には、甲野に対する七月分の診療報酬についての過誤調整はなく、また、同年一〇月三〇日、再審査により原審査結果が維持されたため、被告基金から原告に対し、その旨の通知(乙一〇)がなされた。同年一一月頃ないし翌年一月頃になされた同年一〇月分ないし同年一二月分の各仮払いの際も過誤調整はなかった。

(二) ところで、被告基金は、指定医療機関の診療報酬請求書類についての審査結果を診療月の翌々月五日までに被告市長に提出し、被告市長は、被告基金の右意見を検討したうえ、診療月の翌々月一二日までに診療報酬額を決定する。

他方、被告基金は、被告市長の右決定がされたか否かにかかわらず、直ちに審査結果に基づく診療報酬の仮払いを開始し、診療月の翌々月一二日までにこれを完了する。なお、被告基金の審査により、指定医療機関の請求点数について増減点がなされた場合においては、その増減点に関する連絡書が被告基金から指定医療機関に送付されるので、指定医療機関は、請求額と被告基金の仮払い額との間の差額の有無及び差額の理由を現実に了知でき、また、当座口振込通知書が送付されることで、請求額と被告基金の実際の支払額を現実に了知することができる。

そして、被告市長が被告基金の審査結果と異なる内容の決定をした場合には、被告基金が、支払・請求過誤整理票(乙七)をもって、被告市長の決定の内容を指定医療機関に連絡し、右の過誤金額は診療月の翌月分の診療報酬の仮払いの際に調整、清算されるが、被告市長が右審査結果と同一内容の決定をした場合には、右の過誤調整がされることはない。

このような診療報酬の仮払い、過誤調整の仕組みから、指定医療機関は、診療月の翌月分の診療報酬の仮払いがされた時点において、診療月の診療報酬についての被告市長の決定内容を知ることができる。

(三) もっとも、指定医療機関から、被告基金に対し、再審査の請求がなされた場合には、被告基金が、再審査の結果を待つことが合理的と判断すれば、過誤調整の時期を再審査の結果が出た時点まで遅らせることがあるが、さらに、再審査の結果、原審査が覆れば被告市長の本法五三条一項の決定も覆ると予測されるため、この場合、被告市長がこれに基づき先にした決定を維持するかどうか判断するまでの間、右過誤調整を留保することもありうると推測される。そして、被告市長の右判断は前記決定に準じて再審査の結果の提出後一、二週間程度でなされるものであり、仮に再審査結果が原審査維持の場合には被告市長が先にした決定を変更することはないし、また、右過誤調整は、右(二)の場合に準じて、被告市長の右判断があった後に行われる第一回目ないし第二回目の仮払いの際にされることになる。

したがって、指定医療機関が、原審査結果維持との再審査通知を受けたときは、被告市長が先にした決定が維持されるであろうことを知り、次いで、その後に行われた第一回目ないし第二回目の仮払いにおいて過誤調整がなされ、あるいはこれがなされなかったときは、これに応じて右決定の内容を知ることができるのである。

以上認定説示の事実によれば、原告は、平成元年一〇月三〇日、被告基金から原審の審査結果維持との通知を受けた後、同年一一月頃ないし翌年一月頃になされた同年一〇月分ないし同年一二月分の各仮払いの際に、過誤調整がされなかったことから、遅くとも翌年一月頃までに、本件診療報酬について、被告市長が同年九月に本件仮払いと同一内容の本件決定をしていたことを知ったものと認められる。

2  なお、原告は、過誤調整の際に被告市長の名義が全く表れていないことを理由に、過誤調整が本法五三条一項の決定を前提とするからといって、指定医療機関が過誤調整の行われたことを了知すれば、当然に被告市長による行政処分(本法五三条一項の決定)の存在を了知したことにはならないと主張するが、原告の右主張は、以下に述べるとおり、理由がない。

すなわち、本法は、被告市長に診療報酬金額を決定する権限を授与しつつ(本法五三条一項)、他方で、診療報酬の支払いを委託された被告基金に、自らの名において支払いをなす法律上の権限及び義務を与え(本法五三条四項)、被告基金による支払事務手続を通じて本法五三条一項の決定を被処分者に了知せしめることとしているが、この制度は、昭和二八年三月三一日社乙発第四九号厚生省社会局長から各都道府県知事あて通知「生活保護法の一部を改正する法律等の施行について」に依拠し、既に三五年以上行われている。

そして、運営要領によると、本法の医療扶助制度が適正に行われるため、被告市長が、本法四九条の医療機関の指定を行う際には、医療機関に対して生活保護制度の仕組みを説明し、さらに、生活保護関係法令の抜粋が記載された指定書(乙一四)の交付も行われることになっており、また、本法によると、被告市長が、医療機関の指定を行う際には被指定者の同意を要し(本法四九条)、指定医療機関が自ら指定を辞退することも自由に認められる(本法五一条)のであって、医療機関が右指定を受けるか否かは、各医療機関の全くの自由意思に委ねられているのである。

以上の事実を総合すれば、原告を含む指定医療機関は、被告市長に診療報酬額の決定権限が留保されたうえ、被告基金による支払事務手続を通じて指定医療機関に了知せしめるという制度を前提として、自らの意思に基づいて指定医療機関になり、診療行為を行い診療報酬の支払いを受けているものと認められる。

そうすると、原告を含む指定医療機関は、前記の過誤調整等を通じて被告市長の決定を了知し得るのであって、原告の右主張は理由がない。

3  また、原告は、診療報酬額を確定するという本件決定前に、実際に原告への診療報酬の支払いが行われるのは不自然、不合理であると主張するが、原告の右主張は、以下に述べるとおり、理由がない。

すなわち、前記のとおり、本法五三条一項の決定権限が被告市長に留保されている一方で、被告基金に支払事務手続が委託されていることにかんがみれば、本件決定前に診療報酬が支払われることについては、それは暫定的な支払いに過ぎないと解することができるのであって、そのことに不自然、不合理な点はない。

そして、実務上も、本法五三条一項の決定前に、診療報酬の支払いができるように制度化されているのである。

すなわち、被告市長は、被告基金に診療報酬の仮払いを行わせるため、被告基金に対し、必要な額を事前に概算交付することが認められている(乙一の1、本件委託契約五条)。また、被告市長と被告基金は、本件委託契約を締結するに当たって覚書(乙一の2)を作成し、被告基金は被告市長に対し、毎月二〇日までにその月の診療報酬を支払うために必要な概算交付を請求し、被告市長が右概算交付する額は、本件委託契約五条の規定する額に止まらないこととなっている(乙一の2)。

したがって、本件決定前に原告に対し、実際に診療報酬が支払われたとしても、そのことに不自然、不合理な点はなく、原告の主張は理由がない。

4 以上により、本件決定は、制度的に原告が被告市長の決定を了知しうるものであり、本法五三条一項の決定として行政処分であると認められる。

三  原告は、本件決定により支払いを拒否された診療報酬を被告基金に対して請求できるか否か

前提事実2及び右二認定説示の事実によれば、本法五三条一項の決定は、指定医療機関が生活保護受給者に対して実施した診療に基づく診療報酬について、指定医療機関が請求できる右の診療報酬の額を具体的に確定する行政処分であると認められるから、原告は、右の決定に該当する本件決定により、乙事件の請求にかかる診療報酬の支払いを拒否された以上、被告に対しその支払いを請求できないことが明らかである。

よって、原告の乙事件の請求は理由がない。

第二  本件決定の違法性

一  審査資料を診療報酬請求書類に限定した違法

1  前記前提事実7(二)のとおり、被告基金は、特別審査委員会において、原告の診療報酬請求に対し、原告から提出された診療報酬請求書類のみを審査して、被告市長に意見を送付し、被告市長は右意見を受けて本件決定を行っている。

これについて、原告は、被告基金が本件決定の前提として原告の診療内容を審査するには、可能な限りの資料を収集して、客観的に原告の診療の適正を審査しなければ審査手続の違法は免れないとし、審査が違法であれば、右審査をそのまま採用してなされた本件決定も違法になると主張するので、次項以下において、原告の右主張につき検討する。

2  法令の規定等及び後掲各証拠によれば、右審査手続等に関し、次の事実が認められる。

(一) 指定医療機関が、診療報酬を請求するためには診療報酬請求書類を被告基金に提出しなければならない(規則一七条、請求省令一条一項)。

そして、特別審査委員会の審査が必要とされる場合にあっては、診療報酬明細書に診療日ごとの症状、経過及び診療内容を明らかにすることのできる資料(症状経過)を添付して被告基金に提出する必要がある(請求省令一条三項、基金法一四条一項、一四条の六)。

(二) 審査委員会及び特別審査委員会は右請求書類により診療報酬請求の適否の審査を行う(基金法一三条一項三号、委員会規程四条)。審査は、診療内容が療養担当規則に適合しているかどうか、また、その請求点数が算定方法告示に照らし、誤りがないかどうかを判断する(証人坂上)。

(三) 審査委員会及び特別審査委員会は、診療報酬請求書のため必要があると認めるときは、被告市長の承認を得て、当該診療担当者に対して出頭及び説明を求め、報告をさせ、又は診療録その他の帳簿書類の提出を求めることができる(基金法一四条の三第一項)。

(四) 右(三)を受けて、委員会規程には、「診療内容又は診療報酬請求の適否につき疑問が生じた場合において、当該診療担当者又は老人保健施設若しくは指定医療機関の出頭及び説明を求め、報告をさせ、又は診療録その他の帳簿書類の提出を求める必要があるため、法一四条の三第一項の規定により都道府県知事の承認を受けようとするときは、一定の事項を具して申請しなければならない。」とする規定がある(同五条)。

(五) 厚生省保険局長通知(昭和二四年五月二五日保発第七一号)「社會保険診療報酬支拂基金法の一部を改正する法律の施行に関する件」には、「基金法一四条の三第一項の「審査のため必要があると認めるとき」とは、当該審査委員会において審査の結果、その診療報酬明細書の記載事項のみでは、当該診療内容等の認定が困難と認められ、又は記載事項のみから明らかに不正又は不当と認められる程度のものをいい、殊に診療担当者の出頭を求める場合とは、右のように事由が重大であって、他の手段によってはその目的を達し得ないものと認められる場合でなければならない」とする規定がある(乙四〇)。

(六) 「社會保険診療報酬支拂基金法の改正について」と題する保険局健康保険課作成の文書(乙四一)には次の趣旨の記載がある。

審査委員会には、当該診療担当者に対して出頭や説明を求めたり、診療録その他の提出を求めることができる権限が与えられた。しかし、同権限を審査委員会に付与することには、保険医療機関等から同会に権限を与え過ぎるとの反対が強かった。そこで、診療報酬請求書の審査の為に当該権限を行使する場合とは、当該診療が審査困難と認められ、明らかに不正又は不当と認められる様な場合と解釈している。そうすると、審査委員会が当該権限を濫用することはない。

(七) 本件審査当時、特別審査委員会は、原審査で、毎月一六日から二〇日にかけて月四〇〇ないし六〇〇件の審査し、再審査として月六〇ないし八〇件の審査していた(証人坂上)。

右認定説示の事実を総合すれば、特別審査委員会の審査は、大量な診療報酬支払事務を円滑に処理する必要性及び同委員会の審査権限が強化されると濫用される危険があることから、指定医療機関が提出した診療報酬請求書類を基に審査する制度であることが認められる。したがって、右審査は、原則として同委員会において右書類を審査して行えば足り、右書類が不十分で右書類以外の資料を必要とする場合においても、右書面主義により、右書類以外の資料の収集方法については一定の限定があるから、この場合、同委員会が右限定された範囲内において、他にいかなる資料収集方法を採用するかについては、右委員会の合理的な裁量的判断に委ねられていると解される。

したがって、原告の前記1の主張のうち、被告基金の審査方法に関する部分は、右の限度で、理由がない。

3  次に、原告は、書面審査が原則であるとしても、特別審査委員会は、審査のため必要があるときは、診療担当者に対して出頭や説明を求めたり、診療録(カルテ)その他の資料の提出を求め審査することが認められており、特に、本件のような「救命」事案や診療報酬請求書類だけでは患者の病状及び診療内容等について判断が困難な場合は、右のような方法により資料を収集のうえ審査をすべきであると主張するので、以下、原告の右主張について検討する。

前記のとおり、特別審査委員会の審査においては書面主義が採用されている関係で、同委員会が基金法一四条の三第一項に基づく調査を行うことは例外であるから、診療報酬を請求する指定医療機関としては、本来、診療の適正を判断するのに必要な患者の病状、検査数値、診療内容等を記載した診療報酬請求書類を提出して請求するはずである。しかし、現実の問題としては、多数の請求書類の中には、右の事項が適切に記載されず、当該診療報酬を請求するならば当然に記載されているべき右の事項についての記載がなく、このまま審査するとすれば、審査委員としては、当該診療報酬の全部又は一部を否定するほかない場合がありうる。

そこで、右の場合に、特別審査委員会がいかなる審査をすべきかが問題となるが、この点については、次のように考えるべきである。すなわち、右の場合において、当該診療報酬請求書類の記載の不備がその性質上補正可能なものであり、かつ、当該指定医療機関が同委員会からの連絡により右記載の不備を補正するであろうことが期待できる場合には、特別審査委員会は、当該指定医療機関に対し、右書類の記載に不備がある旨を連絡して、右記載の不備を補正する機会を与えなければならない。そして、当該指定医療機関がこれに応じて、右記載の不備を補正することを希望し、必要に応じて、任意に、基金法一四条の三第一項所定の方法による審査資料の提出に応じるときは、これを受け入れ、右の資料をも含めて審査しなければならない。

もっとも、右の場合に、他にいかなる資料収集方法を採用するかについては、前記のとおり、特別審査委員会の裁量的判断に委ねられているのであるが、①被告市長の本法五三条一項の決定は、社会保険における療養の給付を担当する保険医療機関からの診療報酬についての被告市長の決定とは異なり、前記第一の一で説示したとおり、本法に基づく扶助としての医療を担当した指定医療機関が被告基金に対して請求できる報酬額を具体的に確定する行政処分である関係で、仮に同委員会が当該診療報酬につき誤った減点査定をした場合、現在の実務上これがそのまま採用されて被告市長の右診療報酬の支払拒否決定を招き、その結果、当該指定医療機関は本来取得すべき右診療報酬請求権を取得できないことになること、②また、基金法一四条の三第一項によれば、同項所定の方法により審査資料の提出を求めるについては、被告市長の承認を得ることが要件とされているが、右2認定説示の事実によれば、右要件は審査委員会の同項に基づく権限の行使により指定医療機関の利益が不当に侵害されることを防止するためのものであり、したがって、指定医療機関がその診療報酬請求の正当性を立証するために、任意に右の方法による審査資料を提出しようとする場合には、適用外のものと解されること、③さらに、右の場合に同委員会が前記のような審査をするとしても、これによる事務量の増加が同委員会の運営に支障をもたらすようなこともないこと(証人阿岸)、④しかも、右①ないし③の事項は、被告基金の審査委員としても職務上当然に認識すべき事柄であり、かつ、請求書類上も本法関係のものは「生活保護法医療券・診療報酬明細書」との標題が付され、これが本法関係のものであることが明示されていること(乙三の2)、以上の事実にかんがみれば、右の場合に、同委員会が前記のような審査をしないまま、当該診療報酬につき、全部又は一部の減点査定をすることは、極めて不合理であって、同委員会が審理方法につき有する前記裁量範囲を逸脱した違法なものというべきである。したがって、原告の右主張は、右の限度で、理由がある。

4 そして、特別審査委員会が右3説示の違法な審理の結果、当該診療報酬につき判断を誤ってその全部又は一部の減点査定をし、これが被告基金の意見として被告市長に提出され、被告市長が他に格別の調査をすることなくこれをそのまま採用して、これと同一内容の本法五三条一項の決定をしたときは、右決定も違法となるというべきである。

二  診療報酬請求に対する判断の違法

1  本件審査及び本件決定

特別審査委員会は、本件明細書(乙三の二)、再審査の申出書(乙二四)に基づき審査を行い、血漿交換療法については、同療法に使用した薬剤及び治療材料を含め三回の施行のうち二回を、人工腎臓については、同人工腎臓に使用した薬剤を含め、一三回の施行のうち五回を、その他後記の一部の薬剤についてそれぞれ減点査定し、被告市長は、右減点査定に基づいて右減点査定にかかる診療報酬の支払いを拒否する内容を含む本件決定をした(当事者間に争いがない事実)。

そこで、前記一3説示の見解に基づき、次項以下において、特別審査委員会の右減点査定及びこれに基づく本件決定に判断を誤った違法があるか否かにつき検討する。

2  血漿交換療法について

(一) 本件審査の経緯と阿岸の判断内容

証拠(甲三の1、2、四、乙三の2、六の1、2、一〇、二四、四五、証人坂上、同阿岸)によると、次の事実が認められる。

(1) 原審査の第一次審査

イ 血漿交換療法に関し、本件明細書及び症状経過についての原審査の第一次審査は、特別審査委員会の委員のうち肝臓及び腎臓並びに血液を専門とする阿岸が担当した。保険診療において、肝臓の病気で血漿交換療法の施行が認められるのは、厚生省の通達(昭和六三年三月一九日保発二一)によれば(乙四二)、劇症肝炎の治療に限られているため、甲野の病状の経緯、病態から、甲野の傷病が劇症肝炎にあたるか否かが審査の中心となった。

ロ そして、阿岸は、原告提出の本件明細書から次の各記載を認めた。

① 本件明細書(乙三の二)の傷病名欄の、「肝不全(劇症肝炎)」との記載

② 本件明細書に添付された本件症状経過のうち主治医宮岡医師作成部分中の、血漿交換療法に関する、「七月八日急に三九度C熱発、ほとんど同時にショック状態となった。エンドトキシン・ショックと考え、強力に抗生剤を使用。血圧はなんとか持ち直したが肝不全、腎不全併発。(中略)また、七月一四日にはPT(プロトロンビン時間)39.3秒(contol一一秒)APTT104.8秒となり肝不全状態に対し血漿交換療法を開始した。三回施行その后肝機能はPE(血漿交換療法)なしで維持できている。また、同じ頃より意識障害著明。」(乙三の二)との記載

③ 本件症状経過のうち透析担当医の神田医師作成部分の、「劇症肝炎(中略)に対して、血漿交換療法(中略)を施行した。」との記載

ハ そこで、阿岸は、右①ないし③の記載から、甲野の病状の経緯について、次のように判断した。

甲野は、白血病の治療の為に使用された抗癌剤によって白血球減少症となり、このため、甲野の身体は感染に極めて弱い状態となった。そこで感染症が起こり、敗血症になって、エンドトキシン・ショックになり、同時に(多少は前後した可能性有り)DICを起こし、腎不全、肝不全が起って多臓器不全になった。

ニ さらに、阿岸は、原告提出の診療報酬請求書類から次の事実を認めた。

① 劇症肝炎は、一般的に、発熱や全身倦怠感があり、場合により吐き気がし、その症状が、短期間に強く現れて、そのうち黄疸が出て、それから意識障害が出てくる。したがって、劇症肝炎の場合、その旨の記載があるのが通常であるが、本件ではその旨の記載がない。

② 本件症状経過のうち宮岡医師作成部分には「肝炎」「劇症肝炎」との記載がない。

③ 一般に、劇症肝炎の症状経過には、肝炎の発症原因、その経過、意識障害に関する具体的な程度及び肝機能の生化学的データ等の記載がなされているものであるが、本件症状経過にはその記載がない。

④ 劇症肝炎であれば、後記のとおり意識障害の有無、程度が大きな問題となるから、症状経過にその旨の記載があるはずであるが、本件症状経過には、肝不全によって意識障害が起こった旨を表す記載がない。

ホ 阿岸は、右ハの判断に、右ニの①ないし③の事実を総合して、甲野の病状の経緯、病名、血漿交換療法の施行回数について、次のとおり判断した。

① 阿岸は、右ハの甲野に関する病状経緯(特に、エンドトキシン・ショック、DICを起こし、肝不全になる経緯)、右ニの①ないし④の事実を総合すれば、医学的にいって、甲野の病名は劇症肝炎ではない。

② 甲野は、医学的には劇症肝炎ではないけれども、多臓器不全に伴う重篤な肝不全であり、このような重篤な甲野の病態に血漿交換療法を施行することは、医学的常識に反するものではない。

③ 本件明細書の傷病名欄には劇症肝炎の記載がある。

④ さらに、審査委員としては、指定医療機関から診療報酬請求があった場合、なるべく主治医の付けた傷病名を尊重し又指定医療機関が請求する診療報酬を認める基本方針に立ち、審査をすることが妥当である。

⑤ そうすると、甲野の病名は医学的には劇症肝炎でないが、甲野の病態からすれば血漿交換療法の施行も是認でき、一回分の血漿交換療法を保険診療で行うことは認めてよい。

ヘ 阿岸は、以上の経緯で判断し、審査委員の政策的判断として甲野の傷病名を劇症肝炎とし、血漿交換療法を一回だけ承認することとし、第一次審査を終了した。

(2) 原審査の第二次審査

第一次審査終了後、本件案件は第二次審査委員会(合議)に付された。

同委員会の審査は、第一次審査で判断が困難とされた場合等、特に合議の必要があると思慮される場合及び第一次審査委員以外から第一次審査について異論が出された場合等を除き、個別的に案件を審査することはなく、第一次審査を終了した全案件を一括して了承する方式で審査する。

そうしたところ、本件について、右委員会は、特に全員で内容を論議するような案件ではないと判断し、個別の提案はせず、一括提案により第一次審査の結果を了承する旨の合議決定をした。

(3) 再審査の第一次審査

原告は、特別審査委員会に対し、原審査の結果を不服として再審査願を提出した(乙二四)。それには再審査申出の理由が添付されていた。

特別審査委員会における再審査の第一次審査も、肝臓の領域分野については阿岸委員が担当した。再審査申出の理由(乙二四)のうち血漿交換療法に関する記述は、「急性リンパ性白血病の再発に対する治療の経過途中、敗血症性ショックを発症し、肝不全、イレウス、意識障害などをきたした。(中略)血漿交換であるが、劇症肝炎、肝不全に対し何回施行するかは定まっていないものの、数回(通常三回程度)行ない、データや意識状態の変化を評価しつつ回数を決めていく。本例においても意識状態の改善は充分ではなかったが、データ上の一定の改善が得られ、以後はデータを見つつ決定していくこととした。その後徐々に肝機能のデータ改善していったが、一回のみで良しとする判断は救命を考えるなら、成り立たない。」と記載されていた。

阿岸は、同書面に甲野の病状を裏付ける客観的な数値、症状等の記載がないことから、原審査を覆すに足りる情報の記載はないとして、原審査と同じ判断をした。

(4) 再審査の第二次審査

再審査の第二次審査(合議)は、前記のとおり、一件ごとに第一次審査を行った審査委員から提案され、論議される。

阿岸は、第二次審査において、原審査の審査の結論に変更はない旨の第一次審査結果の報告を行い、特に問題を提起することはなかった。

再審査の第二次審査の審査委員は、右報告を受け、肝臓を専門領域とする阿岸の意見を尊重し、全員一致で「原案どおり」との決定をした。

(二) 甲野の病状、病名

証拠(甲八、九、一二、二一、二二、二七ないし三〇、三六ないし四〇、四五ないし四七、五一、乙三の2、二四、三九、四六ないし五〇、証人宮岡、同坂上、同阿岸、同神田千秋(以下「神田」という。)、同荒川正昭(以下「荒川」という。))を総合すると、以下の事実が認められる。

(1) 甲野の発病の経緯

本件明細書(乙三の2)から判断される甲野の発病の経緯は、次のとおりである。

甲野は、当初は、急性リンパ性白血病に罹患し、その治療のために化学療法を受けた。そして、白血球が減少して、感染が起きやすい状態になり、感染を併発して、敗血症性ショックを起こし、そのために、腎臓、肝臓及び心臓の三つの臓器に障害を起こして、多臓器不全に陥ったものである(したがって、阿岸の前記(一)(1)ハの判断のうち、甲野が多臓器不全になる前にDICに陥っていたとする部分は誤りと認められる。)。

(2) 甲野の病態(病態からの劇症肝炎該当性)

我国において一般的に用いられている劇症肝炎の診断基準は、第一二回犬山シンポジウム(以下「犬山シンポジウム」という。)において定立された基準である(甲八、乙四七)。同診断基準は、「劇症肝炎とは肝炎のうち症状発現後八週以内に高度の肝機能障害に基づいて肝性昏睡Ⅱ度以上の脳症をきたし、プロトロンビン時間四〇%以下を示すものとする。そのうちには発病後一〇日以内に脳症が発現する急性型とそれ以後に発現する亜急性型がある。」と取りまとめられている。

ところで、症状経過には(乙三の2)、前記(一)(1)イの記載、プロトロンビン時間39.3秒、意識障害著明、脳波検査(EEG)で低振幅の徐波がみられたとの記載がある。

そうすると、甲野は、高度の肝機能障害により症状発現後五日目に、肝性昏睡Ⅱ度以上の脳症をきたし、プロトロンビン時間九%となっていたと認められ、右診断基準に照らすと、劇症肝炎であると認定できる病態であった。

(3) 犬山シンポジウムにおける劇症肝炎の理解

犬山シンポジウムでは、劇症肝炎の診断基準を右(2)のとおり決めているが、劇症肝炎とそれ以外の重篤な肝不全を区別する関係で、右(2)の基準以外に肝不全に至った原因等を診断基準の挙げるか等について次のような討論があった(甲二一、乙四七の二一一頁以下)。

イ 市田文弘(新潟大学)(以下「市田」という)は、劇症肝炎を病態を表す症候群名として定義しようとか、ウイルス性及び薬剤性以外の急性肝炎も劇症肝炎に含める旨の発言をする一方、急性妊娠性脂肪肝及びREYE群については明言を控えている。

ロ 森亘(東京大学)は、劇症肝炎を症候群ではなく疾患群であると思うし、劇症肝炎という言葉は、広い概念に馴染まない旨の発言をしている。(同人は、乙四七の一一一頁以下の「劇症肝炎とは何か」と題する論文の中で、劇症肝炎の定義についてウイルス性や薬剤性を含むか等、議論して明確にしておく必要があると述べている。)。

ハ 志方俊夫(日本大学)は、市田の劇症肝炎は症候群名と定義しようという発言に対し、犬山シンポジウムで決めると、金科玉条のように用いられるから気安く決められないと発言している。

ニ 奥田邦雄(千葉大学)は、当日の討論は原則としてウイルス性及び薬剤性の肝炎に限って討論しているはずであると発言している。

ホ 鈴木宏(山梨医科大学)は、劇症肝炎には、急性妊娠性脂肪肝及びREYE群も含まれるのか等、内容を明らかにしてそれを診断基準に記載しなければ一般の医者が困る旨の発言をしている。

ヘ 高橋善彌太(岐阜大学)は、急性妊娠性脂肪肝及びREYE群は劇症肝炎に含まれないことになったと思うと発言している。

ト 他の参加者も、劇症肝炎の定義について縷々発言しているが、劇症肝炎は症候群なのか疾患名か、劇症肝炎の成因について参加者間に共通の認識はなかった(討論の様子からそのように判断される。)。但し、参加者は、ウイルス性及び薬物性を原因とする肝炎が劇症肝炎に含まれることはほぼ認めていた。

(4) 医学界における劇症肝炎の知見

イ 第五七回日本消化器病学会総会講演抄録(乙四六)には、「劇症肝炎の定義を、急激に起こる肝広汎壊死に基づいて、急速に肝不全症状が現れる肝炎で、臨床像の上で肝萎縮、進行性の黄疸、なんらかの精神神経症をともなうものを指す。なかでも、肝性昏睡は疾患の重篤度を知るうえで有力で、発病前に健康であった症例ではとくに重要視されるべき症状である。したがって、肝機能面では発病する前は正常状態にあり、重篤な肝機能障害に基づく肝不全症状が六ないし八週以内に現れる場合と限定する。」との記載があり、報告者市田による、「劇症肝炎の原因として、ウイルス性、薬剤性、麻酔性及びその他があり、同人が経験した例としてはウイルス性、薬物性、麻酔性及び自己免疫性がある。」との記載がある。

ロ 証人荒川は、新潟大学医学部の内科医科の教授であり、腎臓を専門とするが、臨床で血液浄化法を施行しており、劇症肝炎にも精通している。同人は、劇症肝炎における肝炎とは、原発性の肝炎に限られ、右シンポジウム及び右消化器学会の参加者は同理解を前提として議論を行ったと証言する。そして、この原発性の肝炎とは、最初に何らかの原因で肝臓に障害が生じて肝炎になるものであり、他に病気があって、そのために二次的に肝機能障害を起こす場合は除外されると証言する。

ハ 市田が発表した「診断基準と臨床像」と題する論文(甲四五)には、劇症肝炎とは、肝細胞の広汎ないし亜広汎壊死に基づく肝機能不全により、急速に進展する肝性昏睡を主徴候とするが、経過中にしばしば消化管出血、腎不全、感染症などの合併症を伴い、予後不良の疾患であるとし、劇症肝炎はFulminant hepatic failureと同意義とする旨の記載がある。

ニ 与芝真が発表した「劇症肝炎の病態と治療」と題する論文(甲四六)には、劇症肝炎を厳密に定義すれば、ウイルス性、薬剤性、及び自己免疫性を原因とする肝炎であり、他の変性性肝疾患、虚血性肝疾患は当たらないが、区別せずに一括して劇症肝炎と呼ぶことが多いとする記載がある。

ホ 朝倉出版発行の「内科学Ⅱ」(武藤泰敏著、乙四八)には、劇症肝炎は、急性肝炎の経過中、意識障害をはじめとする急性肝不全症状が出現し、短期間のうちに死亡する予後不良な症候群であること、劇症肝炎では先行する肝疾患がないことが暗黙の了解となっているが、慢性肝疾患があって劇症化する症例をどう取り扱うかについては今後の研究課題とすること、劇症肝炎の原因は、ウイルス性、ハロセン肝炎及びその他の薬物性であるとの記載がある。

ヘ 中山書店発行の「新内科学大系」(高橋善弥太著、乙四九)には、日本で慣用されてきた劇症肝炎は、fulminant hepatic failure(劇症肝不全)に類似し、肝の広汎な壊死、あるいは急激かつ高度な肝機能障害によって生ずる症候群であって、先行する肝疾患の証拠があってはならないこと、原因には、ウイルス性、薬剤性、ハタロンによるものが含まれるとの記載がある。

ト 右ハないしヘ以外の劇症肝炎に関する論文には、劇症肝炎の原因として、ウイルス性、薬剤性、中毒性、肝静脈閉塞、急性妊娠性脂肪肝及びウイルソン病を記載するもの(甲九)、ウイルス性、薬剤性、虚血性及び急性妊娠性脂肪肝を記載するもの(甲二七)、ウイルス性、薬剤性、中毒物質及び慢性妊娠性脂肪肝を記載するもの(甲二八)、ほとんど全ての肝疾患が劇症肝炎の原因となると記載するもの(甲二九)、ウイルス性、ハロセン肝炎及び薬剤性を記載するもの(甲四七)劇症肝炎は欧米でいうところの急性肝不全と同義語であり、原因はウイルス性、薬物肝障害、アルコール性肝炎、急性妊娠性脂肪肝及びREYE群等が考えられると記載するものがある(甲五一)。

(5) 特別審査委員会の判断及び本件決定の正当性について

前記(1)、(2)で認定した事実を総合すると、犬山シンポジウムでは、症状については診断基準が明らかにされたが、肝炎に至る原因から劇症肝炎が限定されるか否かについては、新しい問題であり参加者間に共通の認識はないが、ウイルス性及び薬物性については多くの参加者が劇症肝炎に含まれると認識していたこと、その後の医学界も、犬山シンポジウムの診断基準を前提としつつ、肝炎のうちで劇症肝炎に含まれる範囲については明確でなく、多くの専門家は、ウイルス性、薬剤性、急性妊娠性脂肪肝及びその他によるものを挙げるが、その他の中に何が含まれるかは専門家の間に共通した認識はなく、しかし、多臓器不全に伴う肝炎を明確に挙げる者はいないと認められる。

右認定事実を併せて考えると、劇症肝炎は、新しい概念であって、未だ十分に研究尽くされておらず、今後、劇症肝炎に含まれる肝不全の範囲が広がる可能性があるとしても、現在の医学常識としては、ウイルス性、薬剤性及び急性妊娠性脂肪肝による肝炎がこれにあたるとするのが相当である。

そうすると、多臓器不全に伴う肝不全は、たとえそれが重篤の肝不全であったとしても劇症肝炎ではないというべきであるから、本件患者を劇症肝炎ではないと判断した阿岸の審査は、理由はともあれ正当である。そして、医学的見地から患者が劇症肝炎ではないというべきであるから、保険診療上、血漿交換療法の施行を認められないのであるから、特別審査委員会は、本件診療に対して血漿交換療法を認める必要はない。

したがって、特別審査委員会が血漿交換療法に関する診療報酬につき、三回の血漿交換療法の施行を認めず減点査定をしたのは正当であり、被告市長が右減点査定に基づいて右減点査定にかかる診療報酬の支払いを拒否した本件決定の部分も、何ら違法でない。

なお、特別審査委員会が、前記(一)のとおり政策的に血漿交換療法を一回だけ承認することとし、そのために傷病名を、審査手続上、便宜的に劇症肝炎として扱ったことは、被告市長の右減点処分の違法性とは何ら関係がない。

(三) 重篤な肝不全を理由とする血漿交換療法の施行

原告は、仮に甲野の病状が劇症肝炎でないとしても、症状経過から重篤な肝不全であることは明らかであるから血漿交換療法を三回施行することは認められるべきであると主張する。

しかし、本体診療当時の厚生省保険局長の通達によれば、肝臓に関する疾患については劇症肝炎にのみ血漿交換療法を認め、それ以外の肝炎については認めていない。

そして、特別審査委員会は、右通達に従い審査しており、被告市長は、その審査に基づいて本件減点処分をしたのであるから、本件減点処分に違法はなく、原告の右主張は理由がない。

原告は、右通達は行政内部に対する運用基準に過ぎないから、これを理由に原告の右主張を否定することはできないとするが、仮に右通達の性質が原告主張のとおりであるとしても、右通達自体が違法でない限り、右通達に従って行った処分が違法になることはない。ところで、原告は、通達が違法であると主張していないし、本件全証拠からも通達が違法であるとは認められないのであるから、結局、通達に従った被告市長の本件減点処分が違法であるとすることはできない。

3  人工腎臓について

(一) 本件審査経緯と阿岸の判断内容

証拠(甲四、乙三の2、六の1、2、一〇、二四、証人坂上、同阿岸)によると、次の事実が認められる。

(1) 原審査の第一次審査

イ 阿岸は、人工腎臓についても第一次審査を担当した。

阿岸は、本件明細書に次の記載があることを認めた。

本件明細書の傷病名欄には、「急性腎不全」と記載され、本件明細書に添付された主治医宮岡医師作成の本件症状経過には、「七月八日急に三九度C熱発、ほとんど同時にショック状態となった。エンドトキシン・ショックと考え、強力に抗生剤を使用。血圧はなんとか持ち直したが肝不全、腎不全併発。七月一一日、BUN(尿素窒素)81.0CrN(クレアチニン)4.7尿量減少、心不全となり、七月一一日から血液透析開始。(中略)今后は腎機若干改善傾向にあるため透析間隔の延長から、離脱への希望がもてる。(中略)現在、血液透析(人工腎臓)施行しつつ、リハビリを施行中である。」と記載されていた。

ロ 阿岸は、右記載内容全体から、甲野は急性腎不全であり、それに対する治療として人工腎臓を施行することは保険医療として認められると判断した。

ハ 次に、阿岸は、右症状経過の記載から、施行回数について次のように判断した。

人工腎臓の施行及び施行回数を判断するには、クレアチニン値が最も重要であり、次に、乏尿(一日の尿量が一〇〇ml以下)であることが重要であり、尿素窒素値も判断要素となる。

しかし、平成元年七月一一日のクレアチニン値4.7mg/dlは、一般的に人工腎臓を施行するほどの病態ではない。尿素窒素値八一というのも、急性腎不全の状態で代謝が亢進している場合にはやや高めになるため、必ずしも腎臓の悪い状態を表しているわけではなく、他のことで修飾されている可能性が認められる。

また、本件症状経過には、乏尿の記載はなく、尿量減少の記載はあるが、同記載から乏尿を読み取ることができない。

さらに、肺水腫の記載も重要であるがその記載もない。甲野は、尿量減少により、体内に水が溜まって心臓に負担が生じ、心不全に陥っていたと考えられるが、だからといって、当然に甲野が肺水腫に陥っていたことにはならない。

結局、阿岸は、同月一一日の本件症状経過の記録によれば、多数回の人工腎臓の施行は不要と判断し、一三回の人工腎臓の施行回数のうち八回が適当として、原審査の第一次審査を終了した。

(2) 原審査の第二次審査

その後、第二次審査委員会(合議)に付されたが、人工腎臓の施行について特に全員で論議する内容ではないとされ、他の案件と一括提案により合議決定が行われた。

(3) 再審査の第一次審査

イ 原告は、原審査の結果を不服として、特別審査委員会に対し再審査願を提出し、同願に再審査申出の理由書を添付した(乙二四)。

ロ 阿岸は、特別審査委員会における再審査の第一次審査も担当した。

ハ 原告の再審査申出の理由のうち、人工腎臓に関する部分は、「急性リンパ性白血病の再発に対する治療の経過途中、敗血症性ショックを発症し、肝不全、腎不全、イレウス、意識障害などをきたした。(中略)血液透析についても、BUN(尿素窒素)、CrN(クレアチニン)などのデータや尿量から見れば、必要な回数であり、やはり救命を考えるなら妥当適切であったと考える。なお、その後意識状態も回復、しかも急性リンパ性白血病の再発であったが、骨髄も完全寛解となり、再寛解導入に成功している。透析からも離脱でき、生活の質の向上も順調である。(後略)」と記載されていた。

しかし、この記載には、原審査に提出された以上の検査結果、病状に関する情報の記載がなく、阿岸は、原審査のとおりの結論でよいと判断した。

(4) 再審査の第二次審査

つづく再審査の第二次審査では、阿岸の報告を受けて合議した結果、阿岸の意見を尊重し、全員一致で「審査どおり」と決定した。

(二) 甲野の病態及び人工腎臓の適応

甲野が、人工腎臓を施す必要のある急性腎不全であったことについては当事者間に争いがないが、症状経過等にあらわれた当該急性腎不全の病態から判断して、甲野に対し人工腎臓を何回施行するのが相当であったかにつき争いがあるので、以下、この点について検討する。

(1) 証拠(甲一一ないし一三、二二ないし二四、三一ないし三七、四一、四二、四四、四八、乙三八、証人坂上、同阿岸、同神田、同荒川)を総合すると、以下の事実が認められる。

イ 急性腎不全における人工腎臓の施行の開始及びその回数は、尿素窒素、クレアチニン値、血液ガス、電解質、尿量及びその他患者の全身状態等を総合的に判断するものであって、次のとおりいまだ統一的基準は確立されていない。

① 南江堂発行の「人工腎臓の実際」(太田和夫著、甲一三)には、急性腎不全で保存療法によって治癒しないものはすべて人工腎臓の適応となり、人工腎臓開始の時期は尿毒症による生体の内部環境の破壊が進行しないうちに開始すべきであるとし、その具体的基準として、乏尿三日、尿素窒素八〇〜一三〇mg/dl、K6.0〜6.5mEq/l、BE―一五mEq/lという基準が出されているが、このような数値のみにとらわれることなく、臨床症状及びazotemia(高窒素血症のこと)、高K血症の進行する速度を重視するとよいとの記載があり、さらに、人工腎臓の操作それ自体がほとんど危険がなくなった現在、腎性の急性腎不全という確定診断がつけば、なるべく早期に人工腎臓を行う傾向が強くなってきていると記載されている。

また、人工腎臓の施行回数について、急性腎不全の透析、とくに無尿期における透析は短時間の頻回透析が原則であり、コイル型を使用した人工腎臓について言えば、三〜四時間の透析を三〜七日ぐらい行って、BUN(尿素窒素)、クレアチニンなどの経過をみながら、次第に間隔をあけ透析時間を延長して、安定期にはいれば週三回程度とするとの記載がある。

② 日本臨牀社発行の「癌治療学」(太田和夫著、甲三五)には、人工腎臓施行開始の基準として、(a)尿素窒素五〇mg/dl以上、(b)クレアチニン五mg/dl以上、(c)血清K6.5mEq/l以上、(d)Base Excessマイナス一五mEq/l以下、(e)肺水腫が存在し、利尿薬が無効の場合、(a)、(b)のうちのいずれか一方があれば、あるいは(a)、(b)がなくても(e)があれば人工腎臓が必要であり、但し、検査データのみならず、全身の症状や所見を参考にするとの記載がある(甲三三、三四)。

③ 右①、②以外の文献(甲二三、二四、乙三八)には、人工腎臓の施行開始基準として、尿素窒素の値を七〇ないし八〇mg/dl以上とか一〇〇mg/dl以上としたり、血清クレアチニンの値を六mg/dl以上としたり、八mg/dl以上とするものがある。

④ 東京医学社発行の雑誌「腎と透析」平成三年第三一巻一号に掲載されている論文「急性腎不全と多臓器不全」(甲三二)には、多臓器不全としての急性腎不全の治療における血液浄化法は、必須の治療ではあるが、全てではなく、集中治療の一貫として位置づけられるべきであり、またその方法も後述するごとく、最近は従来の間歇的血液透析から持続的血液透析ないし持続的血液濾過透析に変わってきているとする趣旨の記載がある。

⑤ 前記証人荒川は、人工腎臓の開始時期の判断基準として、乏尿又は無尿(一日の尿量が一〇〇ml以下)の持続の期間(具体的には乏尿、無尿が二日ないし三日続いたこと)、血清クレアチニン濃度(特に、その上昇のスピード)、血液ガス、電解質の濃度及び患者の総合的な状態を基に判断すると証言し、施行回数については、原則的には患者の状態及び検査値(クレアチニン値、尿量の変化)等により個別具体的に判断するが、急性腎不全でも、最初の安定しない時期と安定した時期とでは違っており、病状が安定してくれば慢性腎不全と同じであって、人工腎臓を週二、三回施行するとの証言をしている。

ロ クレアチニン値は、五、六年前頃からクレアチニン濃度の数値の正確な測定が可能となり、人工腎臓の施行の開始、施行回数を決定するうえで最も重要な判断基準となっている。そして、血清クレアチニン値を基準とすることも多くなっている。右クレアチニン値は、濃度の絶対値よりも上昇のスピードが重要な判断基準となる。

ハ 尿素窒素の値は、腎機能障害の発生により上昇するが、食事の影響、体細胞の崩壊の程度、出血及び肝機能障害等の様々な要素の影響を受けるため、尿素窒素の値で腎機能障害の程度を正確に測定できない。そして、クレアチニン濃度の測定が可能となったことで、近時、尿素窒素値は、クレアチニン値ほど重点を置かれなくなっている。

ニ 患者の尿量は、人工腎臓の施行回数の指標となるが、その際、尿量を具体的に明らかにするか、乏尿又は無尿の文言を使う必要があり、尿量減少の文言は、人工腎臓の適正回数を理解するための情報となりにくく適切でない。

すなわち、尿量減少の文言は、曖昧抽象的であって、患者の病態を適切に表すものでないし、尿量を計れば、通常その数値を記載するはずであって、乏尿、無尿であれば、乏尿、無尿と記載するからである。

ホ 患者が肺水腫になれば、主治医はその旨を明記するのが通常である。なお、肺水腫は、腎不全と関係なく起こることもあり、肺水腫があれば当然に人工腎臓を施行することにはならない。

ヘ 白血病であることと、人工腎臓の早期及び頻回施行とは直接結びつかない。

ト 多臓器不全に伴う急性腎不全の場合、一般論としては単純な腎不全よりも早期に人工腎臓を施行すべきである。しかし、多臓器不全に陥っている場合でも腎不全の状態は様々であり、多臓器不全に伴う急性腎不全だからといって、直ちに人工腎臓の施行を開始したり、頻回の人工腎臓をすることにはならない。すなわち、腎不全が重症で肝機能障害が軽い場合には、肝臓は保存的に治療しながら腎不全を中心に治療し、肝機能障害が重症で腎不全は軽い場合には、血液浄化をせず肝不全の治療に入る場合も考えられる。

チ 多臓器不全に伴う急性腎不全の治療は、急性腎不全が本来可逆的な病態であるうえ、現在では人工腎臓が進歩したため腎不全のみで死亡する症例は少なくなったため、当該患者に対して他の臓器不全の治療に努力すべき場合が多くなっているが、多臓器不全の一分症として病態が複雑化している症例では、救命率、腎機能の回復率は低いままであり、人工腎臓の施行等の対応が遅れないようにしなければならない。

(2) 右(1)認定の事実を総合すれば、本件明細書及び本件症状経過の各記載から、本件人工腎臓の施行回数の適切さの有無に関し、次のように判断することができる。

イ 急性腎不全における人工腎臓の適切な施行回数については、診療報酬請求書類に記載された施行開始時の尿素窒素、クレアチニン値、尿量の減少の文言及びその他患者の全身状態、並びに人工腎臓施行後の右検査値等(特に尿量、クレアチニン値)の変化、患者の全身状態の推移等を判断して、これを決めることになる。

ロ 本件症状経過の記載から人工腎臓の開始時期を総合的に判断する場合、クレアチニン値に重点を置いて判断することになるが、当該クレアチニン値4.7mg/dlでは、直ちに人工腎臓の施行を必要とする数値ではない。

なお、クレアチニン値については、その上昇のスピードが重要であるが、症状経過には明記されていない。しかし、平成元年七月八日が正常値であったと推測し、同月一一日までの上昇スピードを算定すると人工腎臓の施行を容認できる。

ハ 尿素窒素の値は、人工腎臓の施行基準を越えているが、頻回な施行を必要とする程ではない。

ニ 本件症状経過における尿量の記載は、「尿量減少」とあるのみで、甲野の尿量に関する具体的数値は記載されておらず、右記載からは、甲野が乏尿又は無尿であるとは認められない。

ホ 本件明細書には、甲野が肺水腫になった旨を表す記載はない(原告は、甲野は、敗血症性のショックから多臓器不全、DIC等となり、尿量も減少し、心不全を起こしたものであるから、肺水腫に陥っていると主張し、証人神田はその旨に沿う証言をしているが、右証言は、証人荒川の証言に照らしてたやすく信用できない。)。

ヘ 甲野の病態については、敗血症性のショックを起こし、多臓器不全(肝不全、腎不全)となり、尿量も減少して心不全に陥ったものであることが認められるが、多臓器不全といえども、その病態は多様であって、腎不全の重篤度は、尿量減少の具体的な数値がなければ認定できない。そして、前記「尿量減少」の記載は、特定の甲野の病態を表すものと認められないし、心不全といっても原因は様々に考えられるため、それから腎不全が重篤であるとは認定できない。

ト 本件症状経過における同月一一日以降の記載のうち、腎不全に関するものは、同月二五日、血液透析(人工腎臓)から離脱できない状態であるが、生命徴候は安定しているとする記載と、その後に腎機若干改善傾向にあるため透析間隔の延長から離脱の希望がもてるとする記載である。

人工腎臓施行開始後の血清クレアチニン値等の腎不全に関する記載は見当たらない。

以上説示したところによれば、前記各書類の記載からは、同月一一日に甲野に対し人工腎臓の施行を開始したことが適切であり、その後も甲野に対し相当回数人工腎臓を施行することが必要であると判断できたものの、前記各書類には、人工腎臓施行の開始時期、施行回数を決定するための重要な判断基準となる、右人工腎臓施行の開始前後における血清クレアチニン値等や尿量の具体的な検査値や具体的な数量の記載がなかったため、本件人工腎臓の施行回数が適切なものであるか否かについては、これを的確に判断することはできなかったのである。

(3) ところで、証拠(甲七の1、2、一八の1ないし5、証人荒川)並びに弁論の全趣旨によれば、①原告の甲野に対する診療録等には、右人工腎臓の施行開始前後における血清クレアチニン値等や尿量の具体的検査値や具体的数量に関する記載があること、②仮に被告基金から原告に対し、右具体的検査値や具体的数量を資料をもって明らかにするように求めていたとしたら、原告において任意にこれに応じていたものであること、及び③その結果、特別審査委員会において、合計一三回の本件人工腎臓の施行が適切なものであるとしてその診療報酬全部の支払いが認められる可能性があったことが認められる。

右認定の事実関係のもとにおいては、特別審査委員会は、原告に対し、前記血清クレアチニン値等や尿量の具体的検査値や具体的数量を資料をもって明らかにする機会を与えるべきであったというべきところ、証拠(証人阿岸)並びに弁論の全趣旨によれば、特別審査委員会の担当委員であった阿岸は、原告に対し右の機会を与えることなく、しかも、合理的理由もないのに、本件人工腎臓の施行回数は八回が適切であって、その余は適切でないとして、五回分の診療報酬等について減点査定をする旨の意見を同委員会に提出した結果、同委員会は右意見どおりの減点査定をしたことが認められる。

(4)  前記一3説示の見解に照らせば、特別審査委員会がした右(3)の減点査定は、違法に審査資料を限定した結果その判断を誤った違法なものというべきであり、被告市長が、他に格別の調査をすることなく右違法な減点査定をそのまま採用してした、これと同一内容の本件決定も、同様に違法となり、取り消しを免れないというべきである。

4  投薬等について

(一) 投薬等の審査の経緯

証拠(甲三の1、2、四、乙三の2、六の1、2、一〇、二四、四五、証人坂上、弁論の全趣旨)によると、次の事実が認められる。

(1) 投薬等の審査についても、原審査、再審査(なお、再審査は原告が再審査の申出をしていないD―ソルビトール及び処置料については行われていない。)が行われ、それぞれに第一次審査、第二次審査があった。

後記の減点査定は原審査の第一次審査で行われた。そして、第一次審査の結果は、一括して第二次審査に提案され、そのまま第一次審査結果を了承する合議決定がなされた。

(2) 原告は、原審査の結果を不服として、特別審査委員会に対し再審査願を提出したが、それには再審査申出の理由が添付されていた(乙二四)。

(3) 再審査の第一次審査においては、担当の審査委員が本件明細書及び再審査申出の理由書に基づき審査を行ったが、いずれも原審査を覆すに足る情報は得られず、原審査どおりという判断をした。

(4) 再審査の第二次審査である合議の場では、第一次審査担当委員がその結果について「内服薬その他については、用法用量あるいは適応がないといういろいろな理由で、適正な量に査定した」旨の報告を行い、合議した結果、全員一致で原審査どおりでよいとの決定をした。

(二) 原審査の当否

(1) マーロックスの投与について

原告が、甲野に対してマーロックスを一日当たり五〇ml以上を投与し、診療報酬を請求したところ、被告基金が一日当たり投与量五〇mlを超える部分を減点査定したことは当事者間に争いがない。そこで、患者に一日当たり五〇mlを超えてマーロックスを投与することが認められるかを検討する。

証拠(乙四三の1)によれば、用法及び用量としては一日一六ないし四八mlを数回に分服(増減)するとなっていること、使用上の注意としては腎障害のある患者、心機能障害のある患者等には慎重に投与することとされている事実が認められ、それに、前記のとおり甲野は急性腎不全、心不全と診断されている事実を考え併わせれば、甲野に対し、マーロックスを一日当たり五〇mlを超えて投与したことは、診療行為として不適当であり、前記減点査定は、正当である。そして、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(2) トロンビンの投与について

原告が、甲野に対してトロンビンを一日当たり六瓶(一瓶に一万単位を含有する)以上を投与し、診療報酬を請求したところ、被告基金が一日当たり六瓶を超える部分を減点査定したことは当事者間に争いがない。そこで、患者に一日当たり六瓶を超えてトロンビンを投与することが認められるかを検討する。

証拠(乙四三の2)によれば、用法及び用量としては、止血局所に生理食塩液に溶かした溶液(トロンビンとして五〇ないし一〇〇〇単位/ml)を噴霧若しくは灌注又は粉末のままで散布、上部消化管出血の場合は適当な緩衝剤に溶かした溶液(トロンビンとして二〇〇ないし四〇〇単位/ml)を内服(増減)するとなっていること、使用上の注意としては重篤な肝障害、DIC等網内系活性の低下が考えられる病態の患者には慎重に投与することとされている事実が認められ、それに前記のとおり甲野は肝不全、DICと診断されている事実を考え併せれば、甲野に対し一日当たり六瓶を超えてトロンビンを投与したことは、診療行為として不適当であり、減点査定は、正当である。そして、右認定判断を左右するに足りる証拠はない。

(3) モニラックの投与について

原告が、甲野に対し、モニラックを一六日に及んで一日当たり六〇mlを投与し、それに対して、被告市長は一日当たり五〇mlを超える部分を減点処分したこと、高アンモニア血症に対するモニラックの投与量は通常、成人で一日当たり19.5ないし三九グラム(三〇ないし六〇ml)であることは当事者間に争いがない。

ところで、被告基金は、一日当たり六〇mlの投与は、一日の最高量を投与することになるが、本件明細書には最高量を投与する必要性を表す検査値等の記載がないとして、一日当たり五〇mlを超える部分を減点査定している。そこで、本件明細書に、モニラックの最高量を投与する必要性を表す検査値等の記載があるのか検討する。

そして、本件明細書によると、同書の傷病名欄等には、高アンモニア血症の病名の記載はなく、同病を示す検査値の記載もないこと、肝不全及び肝障害の傷病名が記載されていること及びアンモニア検査の回数の記載があることが認められ、右認定事実を総合すると、本件明細書の記載からは、甲野が高アンモニア血症であったことは推測できるが、その程度については明らかでなかったと認められる。

そうすると、被告基金としては、甲野の高アンモニア血症の病態について把握できないままに減点査定の判断を下したものと推測される。

ところで、証拠(甲七の1、2)によれば、甲野の病状について、平成元年七月一二日にアンモニア値が一四四μg(正常値三六ないし七〇μg/dl)の記載があること及び意識レベルの低下及びガスが溜まる兆候がみられる旨の記載がある事実が認められるが、他方、生化学検査によると、同月一四日からのアンモニア値の数値は二一から五五(μg/dl)の間に安定している事実(二〇μg/dl台の数値を記録することも少なからずある。)が認められ、右認定事実を考え併せると、甲野がモニラックを一六日間投与されていたことを考えても、甲野の高アンモニア血症は、とてもモニラックの最高量を投与する必要がある程に重篤であったとは認められない。

そうすると、モニラックの投与については、たとえ、原告が診療録等を被告基金に提出し説明等しても、原告の請求が認められる可能性はなく、結局、右減点査定は相当なものであったといえるから、これに基づいて同一内容の減点処分をした本件決定部分には、判断を誤った違法はないことになる。

(4) D―ソルビトールの投与について

被告基金は、D―ソルビトールの投与を全て適応外であるとして減点査定したことは当事者間に争いはない。そして、D―ソルビトールの用法について、原告は、、カリウム値を下げるために処方されるケイキサレートによる便秘を防止する目的で必ず投与されると主張し、被告らは、消化管のX線造影の迅速化、経口的栄養補給、消化管のX線造影時の便秘の防止薬であると主張する。

証拠(乙四三の4)によれば、D―ソルビトールの適応は、消化管のX線造影の迅速化、経口的栄養補給、消化管のX線造影時の便秘の防止とされていることが認められ、原告の主張を裏付ける的確な証拠はない。

そして、証拠(乙三の2)によれば、本件では、原告が消化管のX線造影を行った事実は認められないから、被告基金のした減点査定は正当であると認められる。

(5) フロリードFの投与について

被告基金は、フロリードFの注射による投与を全て適応外であるとして減点査定したことは当事者間に争いがない。フロリードFの用法について、原告は、白血病の患者の治療に敗血症の症状があれば真菌感染の可能性は高く、同感染を防止するために抗真菌剤であるフロリードFを注射で投与することは医学常識として認められると主張し、被告らは、フロリードFは、クリプトコックス、カンジダ、アスペルギルス、コクシジオイデスのうちの本剤感性菌によって発症した真菌血症、肺真菌症、消化管真菌症、尿路真菌症、真菌髄膜炎に対して投与するものであると主張する。

証拠(乙四三の7)によれば、被告ら主張する事実が認められ、証拠(乙三の2)によれば、本件明細書の傷病名及び本件症状経過の記載には、被告が主張するところの病名がない事実が認められる。右認定事実を併せて考えると、原告が白血病の患者の真菌感染を防止するために行った、フロリードFの注射による投与は認められず、被告基金が適応外として減点査定したことは正当であり、右認定判断を左右するに足りる証拠はない。

(6) 処置料

被告基金は、第一ブドウ糖の投与を全て適応外であるとして減点査定したことは当事者間に争いがない。第一ブドウ糖の適応及び用法について、原告は、人工腎臓を施行するに際し、本件診療当時、透析液にはブドウ糖が添加されておらず、そのまま透析液を使用した場合、透析中に低血糖状態を招来する危険があり(とりわけ、重症患者の透析では、透析管理が重要である。)、第一ブドウ糖を透析液に添加して使用することは認められると主張し、被告らは、第一ブドウ糖は、経口的栄養補給、ブドウ糖負荷試験の経口投与に適応するものであり、本件のように人工腎臓の施行の際に使用することは認められないと主張する。

しかしながら、証拠(乙四三の8)によれば、被告らの右主張事実が認められ、原告の主張を裏付ける証拠はない。

したがって、被告基金の右減点査定は、正当である。

三  実質的審査を懈怠した違法

原告は、被告基金による第二次審査の一件当たりの審査時間が少ないとして、被告基金は原告の治療内容につき実質的審査をせず、機械的に減点措置、再審査請求を棄却したと主張する。

しかし、特別審査委員会の審査の方法、順序は、立法裁量、行政裁量に委ねられている事項である。そして、前記のとおり、特別審査委員会の審査は、原審査、再審査と行い、それぞれに第一次審査、第二次審査が行なわれ、各段階を経て、最終的な判断が下される。

そうすると、たとえ、特別審査委員会の第二次審査で、十分に審査時間がとられなかったとしても、特別審査委員会の審査制度全体を捉えれば、特別審査委員会は、最終判断までの各過程を通すことで請求された各案件を審査していると認められる(証人坂上、同阿岸)。

したがって、特別審査委員会は、一件当たりの審査を十分に行なってないとは必ずしもいえないから、原告の右主張は理由がない。

第三  結論

以上によれば、原告の甲事件の請求は、本件決定のうち、人工腎臓の施行に関する処置及び処置薬剤につき別紙1表減点点数欄記載のとおり減点した部分の取り消しを求める限度で理由があるから、右限度でこれを認容し、原告のその余の甲事件の請求及び乙事件の請求は、いずれも理由がないから、これを棄却する。

(裁判長裁判官松尾政行 裁判官遠藤浩太郎 裁判官中村隆次は、在外研修のため、署名捺印することができない。裁判長裁判官松尾政行)

別紙1・2 〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例